
古武士のムードを持つ山平さん
「山人」の前で。
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開店まえのスタッフ、
笑顔がとてもいい。
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◆店に入って驚いた。店主の山平さんを始め、数人の若い男性がみんな丸坊主なのである。比叡山の山法師道場は、こんな感じだったろうと思った。
注文をとりにきた女性スタッフに、そのワケを尋ねると、「清潔のためです」と明るい返事が返ってきた。
午後6時に開かれた店は30分も過ぎると、40人くらい座れる席がほぼ満席になった。
開店前には聞かれたスタッフの笑い声もなくなり、料理などに真剣に取り組む彼らの緊張感が肌に伝わってきた。
店主の山平さんが、店の方針などについて説明する。
「店のコンセプトは安全・安心・健康です。人を大事にすることを基本にしています。ですから、無農薬・無添加食品を使っています。薬が使われている養殖魚は出しません。お客様にどれだけ楽しんでいただけるかを、一番大切にしています」
料理は、さすがに美味しかった。1人当たりの平均単価は5000円くらいということだが、この料理で上等のお酒を飲めば、決して高くはない値段だろうと思った。
◆山平さんは、現在、35歳。奥さん・息子さん2人との4人暮らしで、仕事も順調である。
こんな彼だが、これまでの人生は必ずしも平坦ではなかった。故郷呉市の高校を卒業すると、大阪の料理専門学校に入学。それから、京都の大きな日本料理店に入った。そこでは5年間、料理の修業をした。当時を思い浮かべながら語る。
「料理は子どものときから好きで、18歳になったとき、将来、店を持とうと思いました」
「京都の店では、いろいろなことをやらせてもらい、たいへん勉強になりましたが、筋の通らないことで蹴られたり殴られたりしました。また、お金のきたないところを見せられることもありました。
そうしているうちに、だんだん嫌になり、料理以外にやることがあるのではないかと思うようになりました。そこで5年を過ぎたとき、もっと広い世界を見るため辞めたんです」
それから出かけたのがオーストラリアで、働きながら1年半かけて一周する。この旅は、彼の人生を決定するエポックメイキングなものとなった。そのときのことを、つぎのように語る。
「あちこちの料理店が、ぼくを喜んで雇ってくれるんです。食べるって、すごいことだなと思い、どこでも通用する料理という仕事を見直しました」
「2週間くらい、日本語をしゃべらないこともありました。あるツァーのときは、ぼくだけが日本人でした。それなのに、みんなが可愛がってくれるんです。しゃべらなくても、コミユニケーションできるんだなと思いました。人間、みんな一緒、肌の色は関係ないと思いました」
「タスマニアの美しい自然を見ていたときのことでした。今まであったいろいろなことに、感謝の気持ちが湧いてきたんです。この野郎と思っていた感情も、感謝に変りました。店を持つべきか否かという迷いもふっきれました。僕の中の何かが大きく変ったんです」
日本に帰ると郷里の広島に帰り、大きな和食料理店に2年間務めた後、小さな店で、1年間、経営の勉強をした。それから、、広島市に念願の店を持った。28歳のときのことだった。
「小さな和食料理店でしたが、おかげさまで順調に推移し、5年過ぎたところで店じまいしました。それから、昨年の7月、現在の店『山人』を開店したんです」
◆彼の才覚は並々ならぬものがあると思っていると、いきなり思いがけないことを話し出した。
「今、面白いことを計画しているんです。1年先に広島市内で、飲食店と生産者とが共催する『食を伝える祭り』を開く予定です。伝統的な食の良さを子どもたちに伝えるのがコンセプトで、現在、9人の店主が賛同しています」
なかなかやるもんだなと感心していると、さらに追い討ちをかけてきた。
「ぼくは、5年周期で新しい仕事に取り組んでいなければ、気がすまないんです。そこで、3年後には、畑と店が隣り合わせになった自然食品の店を開店したいと検討しています」
5年周期というと、彼のこれまでの人生はつぎのような計算になると思った。彼には、高い志があるし、スケールも大きく発想力も行動力もあるので、これからの新しい事業もきっと成功するだろうと思った。
◇18〜22歳・・・修業期
◇23〜27歳・・・準備期
◇28〜32歳・・・創業期
◇33〜38歳・・・発展期
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