
かやの家の正面
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◆安佐動物公園を過ぎ、あさひが丘から僅かに下ると、左側の石壁に「かやの家」という表示があった。
石段を上ると、今どき珍しい古い民家があり、屋内には、いろりが残る畳の部屋に、蚊帳で作られた人形や花がたくさん飾られていた。(作品⇒)
西井さんは、着物がよく似あう清楚な感じの人である。
「ここは8年前に借りたんですが、ほんとうに偶然でした。つぶされる寸前で、家具の行く先も決まっていたんです。家主さんのご好意に感謝しています。
着物はほんとうに好きです。出かけるときいつも着ているのは、かやの家の制服だからです。」
作品展示は、かやの家のほか広島県各地で行っている。先般は、古里の香川県で作品展と日本舞踊を披露した。
「日本舞踊を皆様の前で披露できるのは、蚊帳のおかげです。
蚊帳に出合ったのは10年前で、それから人形や花の創作にのめり込んできました。ことに人形作りには、特別なこだわりを持っています」
◆彼女は、香川県で生まれ育った。
20歳で結婚、長女に恵まれたが、23歳になったとき夫を病気で失った。悪いことは重なるもので、その頃は実父が倒産し、両親ともに行方不明になっていた。
当時をふりかえりながら語る。
「定職もなくお金もなくたよるところもないので、子どもを抱えて途方に暮れました。
いろいろ迷ったあげく、ミシンを踏み生計をたてることにしたんです。ところが入るお金が少ないんですね。集金の人がくるときには、寒い屋外に出て集金人があきらめて帰るのを待つこともありました。
そんなことがあったので、娘とは連帯感があります。今、娘は広島に住み子どもを4人も作っていますが、私の精神的なよりどころです」
37歳になったとき、広島に転居し再婚した。それから5年後、子宮ガンにかかった。幸いに全治したが、その頃から、夫との関係が少しづつ狂い始め、50歳から3年間の別居の後、離婚した。
「悩みに悩んだあげく、生活の安定を捨て家を出ました。更年期障害のため精神的なバランスを崩していたんです。今、思うと、うつ病にかかっていたのかも知れませんね」
◆このように精神的に苦しんでいたとき、運命の蚊帳に出合った。48歳のときだった。
知人が古い蚊帳を持ってきて、これを材料にして何かを縫ってくれと言ったのである。
「あまった蚊帳はあげると言われましたが、そのときは、こんなものをもらっても仕方ないと思いました。ところが人形を作っているうちに、だんだん、蚊帳のとりこになっていったんです」
「蚊帳で人形を作っていると、幼いとき過ごした古里のことが目に浮かんできました。なつかしさに胸がつまりました。みじめだったときのことを忘れようと捨て去った古里が、よみがえってきたんです。この仕事は天から授かった道だと思いました」
初めて古里の香川県に帰り作品展を開いたとき、恩師や旧友が集まってきた。
「皆さん、温かく迎えて下さったんです。嬉しかったですね。自分1人で、古里を遠ざけていたことがわかりました。一人相撲をとっていたんですね。こうして古里との縁をとりもってくれたのも、蚊帳なんです」
「廃れゆく蚊帳を見ていると、自分の残りの人生に重なっているような感じがします。蚊帳にも今まで生きてきた道があります。そんな蚊帳に新しい命を吹き込みたいと思うんです」
「蚊帳のおかげで、いろいろなことに気付きました。『今日やるべきことをやる。他人と競わず、ありのままの自分を受け入れる』などです。人の痛みもわかるようになりました。蚊帳が生きる道を教えてくれたんです」
このようにつぎつきと蚊帳への思い入れを語る彼女は、今まで何度も死にたいと思った人のようには見えなかった。
材料になる蚊帳は、全国でも残り少なくなっているのではと言うと、彼女は笑いながら答えた。
「この間、私のことが新聞に載ったとき、ある人が蚊帳を2枚送ってくださいました。蚊帳がある限り、作品を作り続けたいと思っています。私が生きている間は、どこかに蚊帳があるような気がしています」
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