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気配りのある独特の笑顔を浮かべながら、ハートフルオアシスプロジェクトを説明する。 「当プロジェクトは、昨年8月立ち上げました。その仕事の内容は、自動販売機の売上の一部を障害者の就労支援等にあてるものです。現在の参加企業は12社ですが、おいおい増えていくものと思われます」 プロジェクトはたいへんスケールが大きく、簡単には説明しにくいが、そのコンセプトを要約するとつぎのとおりで、いわば「自販機を通じて誰もが幸せになるプロジェクト」といえる。 ◆自販機設置企業は、社会貢献活動を進めることにより企業イメージの向上を図ることができる。 ◆消費者は自販機を利用するごとに、社会貢献参画意識をもつことができる。 ◆その結果、得られた資金で、障害者等の就労支援や市民活動の支援などを行い、人と人との温かい思いやりを育て、明るい社会づくりに貢献する。 障害者として生きる彼は、障害者にかける思いが深く、つぎのように意見を吐露する。 「ちなみに障害者が働く施設は、広島市内に65箇所ありますが、平均月収は数千円程度です。 しかも、状況は改善されず、むしろ悪くなっていっています。親が亡くなり、ホームレスになる障害者が増えているとも聞いています。 こういったことからも、当プロジェクトの意義は大きいと思います」 ◆渡部さんが障害者になったのは、今から14年前の20歳のときで、当時、アメリカの大学に留学していた彼が、たまたま休暇をとり帰国していたときに、大阪で交通事故に出遭ったのである。 事故の概要は、友人のバイクの後部座席に乗っていたところ、居眠り運転のトラックにひっかけられた上に、さらに対向車のトラックにもはねられ、首の骨を骨折、頚髄損傷という深手を負ったというもので、まことに不運なアクシデントだった。(友人は運良く軽症ですんだ) 「お医者さんに首から下は動かないと宣言されましたが、絶対に直そうと思いました。ぼくはめげない性格なんです。事故の翌日になると、皆がびっくりするほど、気分転換していましたから・・・・」 彼の入院生活は、大阪の病院が1年、広島でのリハビリが1年と通算2年間に及んだ。
いいお医者さんにも恵まれるというツキもあったんですね。肩や腕の生き残っている筋肉を、手に移植したんです。おかげで、手で運転できるようになりました。 ぼくの奇跡的回復ぶりには、お医者さんも驚かれ、学会にも報告されました」 このように語る彼の表情には、まるで暗い影がない。 ◆退院したものの、アメリカの大学へは、キャンバスが広過ぎるため適応できないという理由で復学を断念した。 それから、環境コンサルタントなどの仕事を手がけた後、昨年、念願のハートフルオアシスプロジェクトを設立した。 このような経歴からか、当プロジェクトにかける思い入れは深い。 「自販機で得た浄財で、昨年10月から毎月第3木曜日に、地域美化のイベントを行なっています。 広島市内の各作業所から、30人くらいの障害者が集まり、和気藹々の中、真剣に作業に取り組んでいます。作業終了後、時給600円の賃金を差し上げていますが、皆さんは本当に喜んでくださっています」 彼には、奥さんかいるし、小学校1年生の娘さんと幼稚園の息子さんもいる。家計のことも考えなくてはいけないのではというと、照れくさそうに答えた。 「ぼくより生活のつらい人がたくさんいます。今は、その人たちのためにベストを尽くしたいという気持ちでいっぱいです」 これからの目標を聞くと、広島市内の参加自販機数を着実に増やし、さらには他県にも広げていきたいと、持ち前の笑顔を浮かべながら、力強い答えを返してきた。 |
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