| 自称「中年勤労学生」 |
小林幸生さん
(こばやし こうせい)
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| 自称「中年勤労通学生」の小林こうせいさんは、呉市から広島市にある広島県立盲学校理学科へ毎日通学している。これまでの人生や今後の抱負などについて、独特の柔和な笑みを浮かべながら語ってくれた。 |
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福田高規先生と
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愛娘と
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◆小林幸生さんの本当の読み方は「こばやしゆきお」だが、実際には「こうせいさん」と呼ばれ、多くの人に親しまれている。おおらかで角のない人柄が、そう呼ばせているのだろう。
そんなこうせいさんも、すでに55歳。年齢的なハンディキャップを越えて、広島県立盲学校理療科に入学した経緯を語る。
「盲学校の就学期間は3年で、目下1年生です。盲学校の入学基準はとても厳しいんですが、なんとか入学を認めてもらいました。左眼は昔から全然見えなかったんですが、それに加えて、右眼の視力が2年前の原因不明の熱のため0.3まで落ちました。こんなことでギリギリのところで、許可されたんです」
こうせいさんは、2年前から整体・カイロの勉強をしており、今ではプロの力をつけているといわれる。にもかかわらずあえて盲学校へ入学したのは、つぎのような理由からだった。
「整体とかカイロなどでは、法律の制約があって治療ができませんが、鍼灸師の場合は国家試験に合格すると治療ができるんです。これが最大の動機ですね」
整体やカイロ、鍼灸師といった治療の世界を志したのは、福田高規さん、吉丸房江さん、中西研二さんの3人の影響が大きかったと語る。
「福田高規さんは、エドガー・ケイシー療法のような治療をしながら、全国的にセミナー活動を展開されています。7年前、2年間毎週通い教えをこいました。吉丸房江さんは、たくさんの著書を書いていらっしゃる方です。10年前、先生のコスモポート道場に通い、おおらかでまん丸い生き方を学びました。中西研二さんは著名なヒーラーです。先生がヒーラーを始めたばかりの1995年、セミナーで出会い、自分の心の状態がもっとも大切なことを教えていただきました」
◆こうせいさんは、広島県呉市生まれの呉市育ち。
愛媛大学を卒業するとハウス食品へ29歳まで務め、それから他の会社へ転じる。35歳になるまでの6年間は不運が続き、務めた会社の2つが倒産した。
35歳のとき、株式会社ワイエーシーに入社、西日本地区の責任者になった。ワイエーシーシーでは、コンピューター関係の仕事をし、営業・企画・メンテなんでもやった。広島での5年間の勤務の後、東京へ転勤、長い単身赴任時代が始まった。(東京3年→福岡4年→東京3年)
「ワイエーシーシー時代で一番よかったことは、たくさんの人との出会いでした。1989年には、人生の転機ともなる、はがき道の坂田成美先生、心身統一合気道の藤平先生との出会いがありました。1994年には、浜勝社長元岡健二さんに出会い、忘れ得ない感動をいただきました。そのほかにも、たくさんの方々にご縁をいただき感謝しています」
1999年、49歳になったとき、ワイエーシーシーの仕事に変化の波が押し寄せてきた。コンピューターの仕事がふるわなくなり、リストラの気配が出てきたのである。それに抗して、20数名の人たちが退社し新会社を設立した。
しかし、その会社も2年後倒産、2001年、こうせいさんは久しぶりに呉市に帰ってきた、
「私は、退職した仲間の世話人の1人だったんですが、これまで倒産の経験があったものですから、役員だけはかんべんしもらいました」
「広島に帰ってからは、ホームページの制作などをしながら、2年前から整体やカイロプラクティック、ヒーリングといった勉強を本格的に始めました」
◆一番好きなことばは?と聞いたら、つぎのような返事が返ってきた。
「縁ある人を励まして生きる。これはハガキ道坂田成美先生のことばです。人を癒すことのできる者が、最も自分を癒すことができる。これは福田高規先生のことばです。これらのことばを、日々の行動指針にしています」
これからの抱負を聞くと、
「鍼灸師の資格を取得して開業することです。整体の仕事も鍼灸の仕事も、腕が問われます。病気が治らなければ、患者は2度と見えないですからね。整体師・鍼灸師の仕事は、自分に向いていると思っているので、気合をいれて勉強し腕を磨いていこうと思ってます」
これまでの彼の人生は、必ずしも運が良いとはいえなかった。しかし、この期間に、広い人脈ができたり、おおらかで温かいパーソナリティがを形成されたりしている。これからは、このような無形の財産が力になり、新しい仕事が順調に展開していくことだろうと思った。
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