縄文が日本を救う!
中村忠之さん
(なかむらただゆき)


中村 忠之さん
73歳
広島市生まれ


縄文塾主宰・塾長
広島市中区住吉町15−10
tel 082-244-0800
fax 082-244-3333

e-mail jyoumonj@urban.ne.jp
URL http://www.urban.ne.jp/home/jyoumonj/

「日本人は縄文人と弥生人の2つの資質を持ったハイブリッド人種。社会が安定しているときは、弥生資質、混迷の時代には縄文資質が力を発揮する。平成は大変革の時であり、今こそ縄文の出番。縄文資質の覚醒が望まれる」
このようなコンセプトで、平成7年以降、ユニークな活動を続けている縄文塾の創設者、中村忠之さんにインタビューした。


縄文土器もあれば、
パソコンもワープロもありの書斎



縄文塾とは
平成7年8月、中村忠之さんが創設。
楽しみながら、考えながら、森に育まれてきた縄文に発する日本人の生き方を、いっしよに考える会。
毎月機関紙「縄文通信」発行/100号
ゲスト講師による講演会/15回
塾長によるセミナー/62回
縄文塾アート展/3回
会員数/150人(広島110人、その他40人)
入塾者募集/年会費2000円
連絡先/上記

◆中村忠之さんのお宅を訪ねると、たくさんの書物や、縄文土器、パソコン、ワープロなどが置かれている書斎に案内された。
 縄文塾という名前から、なにか右よりの烈しい思想家を連想していたが、中村さんは穏やかで控え目なタイプの人だった。
 縄文塾の概要について、説明を受ける。


「縄文塾は来年で10年になります。会員数は150人になりました。縄文塾は、言葉の響きから右寄りと誤解されることがありますが、決してそんなことはありません。皆さんは好奇心が旺盛で柔軟性のある方ばかりです」


「毎月発行している縄文通信は100号になりました。ゲストによる講演会は15回、私のセミナーも60回を越えました。先般開催した第4回縄文塾アート展は、1800人くらいの参加者を集めています」


「縄文塾の外郭団体として、広島雑学アカデミーがあります。平成13年に雑学的センスを具象化することを目的として発足した団体で、正会員14名、聴講会員20名です」


 中村さんは広島生まれの広島育ちで、被爆者である。
「生来、病弱でしてね。大学に入ると、肺結核になりました。成人式は病院で迎えたんです。やむなく大学を中退すると、姉の嫁ぎ先の小さな会社に入社しました。その会社は、だんだん大きくなり、私が退職したときには、関連グループ9社にまで成長していました」


「会社では、鶏やペットの餌・用品などを取り扱っていたので、蕃殖理論(動植物を改良するための交配の学問)を勉強しました。そのうちに、この考え方を利用して、日本人を考えてみたらどうかと思うようになり、縄文人にたどりついたんです」と、縄文人と弥生人の研究に入ったきっかけを語る。


◆「平成8年の61歳のとき、会社から一切手を引きました。それからは縄文塾の活動に専念しています」
 このように語る中村さんは、長い間、社長・会長などを歴任されただけに経営者の風貌もあるが、学級肌の人でもあった。
 まず最初に、縄文人の説明から入ってもらうことにする。


「縄文時代は、14000年前から3000年前まで続きました。驚くべきことに、この1万年もの間、ほとんど争いがなく平和だったんです。日本人には、この縄文人の血が流れています。だから、日本史をひもどいてみても、特殊な期間だった戦国時代を除き、ずっと平和な時代が続いています。平安時代には、ときの権力者である貴族が軍隊を捨てました。さらに江戸時代には、幕府が刀や鉄砲を捨てています。戦後、長い間、平和が続いているのは、平和憲法のせいだけではなく、縄文人の血の影響も大きいと思います」


「縄文人は、きのこ・どんぐり・貝類・魚などの採集により暮らしていました。日本は森や海に恵まれており、食料も多かったんですね。文化レベルも非常に高く、竪穴住居に定住し、世界で初めての縄文土器をつくりました」




第4回縄文塾アート展
2004年10月〜11月



著書「乱世の縄文」と小冊子
「あなたは縄文タイプそれとも弥生」


「このような生活から、縄文文化は森の文化ともいわれています。現在、世界で森がたくさん残っているのは日本だけですが、その原因はここらにあると思います。また、縄文文化は手の文化、工の文化ともいわれます。日本が技術立国として発展したのは、こんな背景があるからです。日本の原点は、ものづくりにあることを忘れてはいけません」


つぎに、弥生人の出現について説明を受ける。
「今から3000年前、大陸から稲作技術と銅・鉄の金属機器を持った弥生人がやってきました。それは、縄文人にとって異常事態でしたが、争いは起きず、平和裏に新しい生活へ移行しました。しかも僅か500年のうちに、東北地方まで新しい技術が普及したのですから、縄文人の協力を考えないわけにはいきません。それから、クニづくりに進んでいきました」


 考古学といえば辛気くさい話しと思っていたが、非常に面白い。いつのまにか引き込まれていた。
「縄文人の特性は、自由人・創造・ロマン・スペシャリスト・右脳・アナログ思考で、森の文化です。これに対して、弥生人の特性は、規制・和・ジェネラリスト・左脳・デジタル思考で、米の文化です。日本人は、こうした縄文人と弥生人の混血によって生まれたハイブリット民族です」


「縄文人の資質は、通常、弥生人の資質の陰に隠れていますが、大きな変革期にはそれが表に出ます。例えば明治維新のときなどです。つまり、創造的破壊と改革の縄文の後に、秩序と和の弥生がやってきているんです。日本の歴史はその繰り返しなんですね」


◆中村さんは、平成9年、「乱世の縄文/文化評論出版社」を出版する。参考文献が80冊という力作だった。
 さらに引き続いて、「あなたは縄文タイプそれとも弥生」という小冊子を発刊した。わかりやすい縄文という要望に応えたものである。(どちらも、縄文塾に申し込めば入手できます。乱世の縄文/1700円・小冊子/360円)


 現在、執筆中の「森と人の地球史」は、4年前からとりかかられているとのこと。ワープロで打たれた原稿は、目次の構成もわかりゆすく、とても読みやすそう。近く、出版社に持ち込みたいとのことだった。
 昨年の4月に大腸の手術をされたばかりというのに、こんな大作を完成させるというエネルギーと情熱に、ほとほと感心した。


「私は、生来、身体が弱く6回死にかけました。その結果思っていることは、生き運により生かされているのであって、弱いだけでは死ねるものではないということです。ときに、喘息で息が止まりそうなこともありますが、その度にやるしかないと開き直っています」


「原爆にあったおかげで、医療費はタダです。その上過分の手当てまでいただいています。私のような弱者は、強者のに支えられて生きています。いつも、ありがたいことと感謝しています」
 中村さんの志の高さと謙虚で控え目な生き様に敬服した。そうして1日も早く健康を取り戻されることを祈った。


中村忠之さんの略歴
昭和6年生まれ
昭和25年 国立山口大学経済学部入学、病気のため中退。
昭和32年 内外飼料株式会社に入社、以後、同社ならびに関連会社の経営に参画。
平成7年  縄文資質覚醒道場(縄文塾)を創設・主宰。塾長として講演・セミナーを開催。
       講師も務める。

平成8年  ナイガイフードサービス株式会社代表取締役会長を退任、同グループの経営
       から退く。


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