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彼女は柔らかい笑みを浮かべながら語る。 「現在は、演奏活動の傍らピアノ教室を開いています。ピアノは3才のときから習っています。母がピアノの先生で、家にピアノがあったものですから・・・」 「これまでピアノ一筋で生きてきました。だから、他には、特別自慢できるものはありません」 このように謙遜するが、ストレートで桐朋女子高等学校音楽科から桐朋学園大学音楽科へと進み、ミュンヘン国立音楽大学大学院とハノーバー国立音楽大学大学院への留学を果たしたのだから、幼いときからさぞかしよくできたのだろうと思った。 ドイツ留学をつぎのように回顧する。 「ドイツ留学は、音楽だけでなく人生経験という面でも、たいへん勉強になりました」 「日本にいた時は、自分を理解してくれている人たちに囲まれ、みんなに甘えていた部分があったように思いました。自分の力とみんなの力で成り立っていたんですね。ミュンヘンで1人になって自分の力だけで立った時、その力が弱く脆いことに気づいたんです。そこで、自分に自信をつけようと、今までよりもピアノに集中しました」 このように淡々と語る彼女だが、異郷での孤独感と無力感からくる心の葛藤はたいへんなものだったろう。 「ストレスのあまり、心のバランスが崩れました。こんなとき、ミュンヘンのムロンゴヴィゥス先生に助けてもらったんです。それまで、人の温かみを考えたことがありませんでした。母から、いつも言われていた『バランスのとれた人間になれ。音楽だけの人間になってはいけない』ということばの意味がわかりました。人生の転機だったんですね」 今一番好きな言葉は、「豊かな人間」になることだという。 「一人ぼっちで、太陽の見えない寒いドイツにいると、無性に温かさがほしくなりました。それで、温かい豊かな人間になりたいと思うようになったんです」
◆これからの夢はと聞いたら、意外な言葉が返ってきた。 「少女のときからの夢は、ヨーロッパでピアニストとして活躍することだったんです。その夢は叶わず、あきらめてしまいました。今では発想転換し、広島を基点にして着実に演奏活動などをしていこうと思っています」 これを聞いて、ドイツ留学が人生の転機になったという彼女の言葉が正確に理解できたように思った。彼女は現在の悩みを語る。 「高校・大学が東京だから、広島には知り合いが少ないんです。家にこもって社会と離れてしまうと、異邦人になってしまいます。一人よがりになってしまうんですね。それではいけないので、広島の2つのオペラ団体に入るなど、いろいろ努力しています」 「演奏家は曲の美しさを伝える責任があります。いい演奏をするには、人間が円熟しなければなりません。音を並べただけではダメなんです。ハノーバーのネックレベルク先生に恋人を作れといわれました」と笑う。 才能と努力は、どちらが上かと聞いたら、 「もちろん努力です。才能はだれにもあります。それを開花させるかどうかは、本人の努力です」 「ピアノを教えると、それがよくわかります。器用な子はスイスイうまくなります。不器用な子は初めは苦労しますが、その間に力を蓄積しているんですね。ある時点にくるとパーと上達するんです。こんなとき、教師の醍醐味を感じますね」 毎日の練習量は?と聞くと、 「平均すると4時間くらいですかね。ただし、リサイタルやコンサートの前には、8時間以上も練習します。本番で上がったらおしまいです。1回だけマグレでできたのでは、ダメなんです。どんな緊張も乗り越えられるように、必死で練習します。」 彼女の先生になった人は、日本人が7人、ドイツ人が2人とたいへん多い。 「音楽を習ったおかげで、素晴らしい先生方にお会いすることができました。その出会いに心から感謝しています」 こんな人柄だから、みんなにさぞかし可愛がられたことだろうと思った。そして、最後にポツリと言った言葉が印象に残った。 「結婚して子どもも欲しいです」 |
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