| 医学を通して祖国ミャンマーに貢献したい! ピュ ピュ アウンさん
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◆ピュピュアウンさんは、笑顔の愛くるしい物静かな感じの人だった。 来日して2年になり、日本語を聞くのはなんとかできるようになったが、しゃべるのはまだまだ未熟で、大学院での研究ももっぱら英語である。 しかし、広島での生活は結構充実しているようで、その状況についてつぎのように語ってくれた。 「広島に来て、本当に良かったと思っています。大学院の安井弥教授はすごく可愛がってくださるし、研究室のメンバーも皆いい人ばかりで、充実した日々を過ごしています」 「それに、白石良子さんという素晴らしいお方とお会いできました。私と同世代の3人の娘さんがいらっしゃいますが、皆さんと姉妹のようなお付き合いをさせていただいています」 このように順調だった彼女が、昨年、思いがけない交通事故に遭遇した。自転車に乗って交差点にさしかかったとき、自動車にはねられたのである。 「背骨が折れたんです。後遺症が残り今でも痛みますが、事故に遭ってよかったと思っています。今までは医師の立場でしか患者さんを見ることができなかったのに、今では患者さんの気持ちがわかるようになったからです」
加害者の見舞いは最初の1回だけだったそうだが、恨みに思っていないところが、アウンさんのいいところだと思った。 ◆アウンさんが医学を志した動機は、幼い時に罹った奇病である。 彼女は生まれてしばらくすると、唇の上に小さな赤いほくろのようなものができた。これが、だんだん大きくなり呼吸困難になってきたので、ヤンゴン市の大きな病院で治療を受けた。そのとき治療に当たった医師がマウンマウン先生である。 「1歳から2歳にかけて、18回も通院し治療を受けました。こうして元気に生きていられるのは、マウンマウン先生のおかげです。恩返しに、人の命を救う医師の仕事がしたいと思うようになりました」 ミャンマーでは高校の成績により、大学への進路が自動的に決まる。医学部への進路は非常に難関だったが、彼女の成績は抜群で文句なしの合格だった。 ヤンゴン大学医学部を7年かけて卒業すると、今度は念願の留学に向けて活動を開始した。 「ミャンマーでは、最近、胃がんが増えています。そこで、日本で胃がんの勉強をしようと思い、日本国費留学生博士課程を申請したら通ったんです。広島には姉もいるので嬉しかったです」 「留学する前にあいさつしておこうと思い、10数年ぶりに恩人のマウンマウン先生のところへ行ったら、幽霊が出てきたのかとビックリしていらっしゃいました(笑)」 ◆姉のティンティンカインさんは、「ミャンマー(ビルマ)友の会」を設立し、ミャンマーの子どものための里親制度やミャンマーでの井戸掘り活動、ミャンマーへの旅行などを精力的に進めており、さらにはミャンマーの活動拠点「日本センター」の設立も計画している。 ![]() アウンさんは大学院での研究の傍ら、こうしたカインさんの活動を全面的に支援しているが、博士課程を終わると、すぐにアメリカに渡り就職することにしている。 「日本が好きなんですが、日本では医師の仕事ができません。問題は言葉なんです。聞くことはできても話すことができなければ、医師としては失格ですよね。英語なら話すことができるので、アメリカに渡ることにしているんです」 このようにたんたんと語る彼女に、将来の夢を聞くと、つぎのような答えが返ってきた。 「アメリカでは、診療の技術を身に付け、お金を貯めます。そうして1日も早くミャンマーに帰り診療所を開設したいと思っています。ミャンマーは貧富の差が大きいので、お金持ちからお金をいただき、貧乏な人は無料にするつもりです」 このように語るアウンさんの横顔を見ながら、姉のカインさんが笑いながら言った。 「日本が好きだから、きっと日本にも帰ってくるよ」 |
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