祖国ミャンマーに「日本」を学ぶ場を!
ティン・ティン・カインさん

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ティン・ティン・カインさん
ミャンマー生まれ 35歳
広島大学大学院国際協力研究科
教育文化専攻博士課程後期
広島市在住
e-mail khaingchan@yahoo.co.jp
ミャンマーの旅 |
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広島大学大学院国際協力研究科で学ぶティン・ティン・カインさんは、祖国ミャンマーに日本語学習拠点「日本センター」を設立するため、広島大学大学院医学部で学ぶ妹のピュ・ピュ・アウンさんと一緒に資金作りなど準備を進めている。その動機や構想などについて、カインさんに伺った。
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孤児を抱くカインさん(左側)
妹のピュ・ピュ・アウンさん(右側)
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ミャンマーで、
日本のお好み焼きを作っている
カインさん |
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遺跡を案内するカインさん
(右から3番目)
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◆カインさんは35歳と聞きびっくりした。愛くるしい感じの女性で、とてもそんな年齢には見えない。
「日本に来て6年になります。最初の1年は、日本語学校へ行き、それから広島大学大学院博士課程に入りました。今、博士課程後期の2年生で、再来年3月卒業の予定です。専攻は教育文化で、日本語とミャンマー語の比較研究をしています」
発音に若干聞き取りにくいところがあるが、ペラペラの日本語だ。
◆カインさんが日本語に興味を持ったのは、ミャンマーの田舎の高校生のときで、当時80歳くらいの日本のおじさんに出会い、日本語を教わった。
「第2次大戦が終わったとき、日本に帰らない兵隊さんがたくさんいました。当時は、日本よりミャンマーの方が経済的に恵まれていたんですね。そのおじさんも、帰らなかった兵隊さんの1人でした。
おじさんから日本語を教えてもらっているうちに、日本に行きたいと思うようになったんです。そのおじさんも亡くなられました」
彼女は高校の成績がよかったので、首都ヤンゴンの大学に進学する。
「大学では日本語を習いたかったんですが、当時は日本語学科がありませんでした。大学を卒業すると銀行に入りました。それから、勤めながら、外国語大学日本語学科の講座(7時〜9時)を4年間受けたんです」
なんともたいへんな勉強家である。それにしても、ここまで日本語の習得に執着したのはなぜかと聞いたら、貧乏だった日本が僅か50年間に驚異的な経済発展した理由を知りたかったからとのこと。
現在は、なんとなくその輪郭がわかってきたという。
「今では、その理由は日本人の勤勉性なんだろうと思っています。江戸時代、鎖国していた日本が、開国したのはよかったですね。日本文化がこわれるという悪いところもありましたが・・・。 ミャンマーは、今、江戸時代の日本です」
◆日本に留学するには多額の資金がいる。彼女には、そんな額のお金ができそうもなく、留学の夢を半ばあきらめていた。ところが、その夢が実現するチャンスが訪れたのである。
「ロンドンで医師の国家試験に合格した実兄が就職し、半年間かけて貯めたお金を送ってくれたんです。運賃と1年分の学費・生活費をまかなえる150万円です。天にも上る気持ちでした。それからのことは、日本に行けばアルバイトしてなんとかなると思いました」
彼女と日本とのつながりには、運命的なものがあるのだろう。日本へ来るとき、飛行機の隣の席に、カインさんの将来に大きな影響を与える50歳くらいの婦人が座ったのである。
「正月や盆がくると、いつも招待していただきました。1年分のお米を送ってもらったこともあります。先般は、養子縁組までしていただきました。お子さんがなかったんです。
お金持ちですが、財産分与には全然興味がありません。お母さんと呼ばせていただけるだけで幸せです。必ず、お返ししなくてはと思っています」
日本センターの目的
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■ミャンマーは発展途上国。
日本語受講希望者はいるが、情報や教材がたいへん不足している。今までの経験を生かしてお手伝いしたい。
■ミャンマーと日本の交流の拠点にする。ミャンマーに来られたときは立ち寄って、日本のお茶や生花など文化を伝えてほしい。
■ミャンマーは貧富の差がひどいので、お金持ちは有料、お金のない人は無料で日本語を教える。
■ミヤンマーには学校へ行けない子、親のない子がたくさんいる。勉強したくても、学校にいけないことは、本人にとって辛く悲しいこと。
これまでの私の恵まれた環境に感謝し、お返しをしたい。 |
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◆日本に来て一番困ったのは、会話が思うように通じないことだった。それも次第になれ、5年間が、あっという間に過ぎ残るところ1年になった。
「広島では、4年間に10回も引越ししました。変化と挑戦が大好きなんです。引越しするたびに、新しい出会いがあり楽しかったですね」
と、大きな目を輝かせながら語る。
「日本で暮らしているうちに、国境の感覚がなくなりました。
卒業したら、日本で半分、ミャンマーで半分、生活しようと思っています。日本には養母やたくさんの大切な友達がいるし、ミャンマーには両親や古くからの知り合いがたくさんいます。
これからは、今までのお返しをしたいですね。自分が世の中に役立っていることを実感したいんです。そのチャンスは、日本よりミヤンマーの方が多いですね」
カインさんは、理想家肌の人のようだ。
「アメリカに渡る人が多いんですが、私は日本が一番好きなので渡米しません。ミャンマーに、日本センターという組織を設立するつもりです。日本語を学ぶ拠点で、日本文化とミャンマー文化の掛け橋になればと思っています」とカインさんの夢は大きい。
この準備として、ミャンマー料理教室を開いたり、ミャンマーの雑貨や服などのバザーを開いたり、ミャンマーへの旅を計画したりするなど、積極的な活動を進めている。
「ミャンマーへの旅は、今年11月、来年2月・4月・11月と予定しています。ミヤンマーを見ていただくことが一番の交流になります。その他、日本センターの広島版・ミャンマー友の会を立ち上げ、会員を募っています。関心のある方は、ぜひ、ご連絡ください」
彼女は勉強家だけでなく、たいへんな行動家だ。この様子なら、日本センターは間違いなく成功すると思った。
同年配の友達から『ババクサイ』といわれるほど、服装に無頓着なカインさん。これまで結婚には縁がなかったようだが、彼女の人柄と情熱をもってすれば、そのうちステキな縁がやってくるだろうと思った。
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■ティン・ティン・カインさんの略歴
◇16歳高校卒
◇17歳から4年間 大学で国際関係を専攻。
◇21歳から銀行に勤めながら、外国語大学日本語学科の講座(7時〜9時)を4年間受ける。
◇29歳来日。福岡の日本語学校で1年間学ぶ。
◇30歳から2年間、広島大学大学院博士課程前期。
◇32歳から3年間、広島大学大学院博士課程後期。
専攻は、教育文化、日本語とミャンマー語の比較研究。 |
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