「シンプル」がトータルコーデイネートの秘訣
スタイリスト 藤尾陽都美さん
|
スタイリストとして20年を超えるキャリアを持ち、「La Fura」を経営している藤尾陽都美さんを訪ね、スタイリストの仕事の内容や、トータルコーディネートのコツなどについて伺った。
|
|
 |

La Fura
|
◆広島市南区にある半兵衛庭園のすぐ近くに、セントラルメゾン本浦という瀟洒なマンションがある。「La Fura」は、その4階にあった。
部屋の中に通されると、目に入ったのはおしゃれなインテリア。スタイリストのアトリエらしい雰囲気に、思わず緊張した。
藤尾陽都美さんは、快活な笑顔を浮かべながら説明する。
「この椅子は豪華そうに見えるけど、レストランで不用になったものをわけていただいたものです。カーテンは、ありあわせの布を組み合わせて縫ったもので、真ん中の部分は端切れです。机の上に敷いているトツプクロスは、布団シーツなんですよ」
じっくり見ると、そのとおりだったが、一見した感じでは、やはりおしゃれだ。
「お金がないので、そんなに贅沢なことはできません。お金を使わないで、豊かな美しさを追求するのが、私たちの仕事です」と言いながら、たくさんの写真を取り出し、
「トータルコーディネートすることにより、こんなに変身するんですよ」と説明してくれた。
→クリック
そこで写真をみたら、人も場所も大きく変身しているので、トータルコーディネートのコツを尋ねた。
「ゴテゴテさせずシンプルにすることです。ところが、どれだけ残すかが、意外に難しいんですね。例えば色彩については、不要な色は使わず統一する必要がありますが、いざ、どの色を残すかとなると迷います」
藤尾さんのシンプルが基本という説明に、素直にうなずけた
◆藤尾陽都美さんは広島生まれの広島育ち。広島文化女子短期大学(専攻:デザイン)を卒業すると、大手アパレル会社に就職した。ここでの3年間で習得したものは、カジュアルあるいはベーシックな女性・男性用洋服のコーディネート。その後のスタイリストの仕事にも、たいへん役立った。
それから友人の紹介で、「広島そごう」の専属スタイリストに転進する。
「スタイリストになるとは、夢にも思っていませんでしたが、周りの方々のおかげで、現在まで続けさせていただいています」
スタイリストとは?
スタイリストとは、服と小物を上手にコーディネートし、ヘアメイクとのバランスを考え、独自のセンスでイメージを作り上げる仕事。
個人のセンスやフアッション感覚が問われる。 |
|
 |
このように語る彼女は、よほどの天分の持ち主だったのだろう。
水を得た魚のように、専属スタイリストとして、ポスターやパンフレット、コマーシャルなどさまざまなメディアを通して幅広く活躍する。
「写真を撮る前の環境をいかに設定するかが、私たちの仕事です。当時はいい仕事をさせてもらいました。モデルさんも、テレビ・雑誌に出るほどの超一流の人たちばかりでしたから・・・。その人たちとのお付き合いは、今でも続いています」
「広島そごう」を3年後退職。1980年、藤尾陽都美スタイリスト事務所を設立した。
独立後は、新車発表会のトップの方のコーディネートを手がけるなど、自動車・住宅・ホテル・食品・通信各業界で多くの実績を積んだ。
「この時期には、カメラマンやスタイリスなど多くの人たちとの出会いがあり、ご協力いただきました。中でも一番大きかったのは新城弘美さんとの出会いで、20年もの間、スタイリストとして一緒に仕事を楽しんできました、家族以上の存在ですね」
◆1998年、藤尾陽都美スタイリスト事務所を「La Fura」と名称変更する。「La Fura」にはとくに語源はないが、やさしくふわっとしたイメージを強調した。
「ヘアメイク・衣装・お花・フードなどにパーフェクトが求められるブライダルには、スタイリストの仕事の集大成という意味があるんですね。こんなことから、今までもやっていたブライダルについて本格的に取り組もうと、名称変更など体制一新を図ったんです。お2人が今まで見たこともないステキな自分に、驚きを感じるひとときをつくりたい。これをコンセプトにしています」
1999年からはブライダルのほかに、公民館などで実演・講演・講師活動をしたり、テレビで変身コーナーに出演したり、アトリエでいろいろな教室を開いたりするなど、多彩な活動を展開している。
「今まで一番大切にしてきたことは、人とのつながりでした。これからも大切な仲間と互いに認め合いながら、一緒に仕事をしていきたいと思っています。ここのアトリエのほかに呉市郷原町にもアトリエがあります。そこでも、みんなが自由に集まれるよう、ホッとする空間にしていきたいですね」
彼女の多彩な人脈の秘訣は、ここらにあるのかも知れないと思った。
|
  |
バックナンバー
|