ユニークな人柄を活かし80年!
森田文吉さん
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森田文吉さん 80歳
鳥取県生まれ
広島市佐伯区楽々園5丁目2-16-408
Tel &Fax 082-923-3838
(株)日興商会 常任監査役
真言宗 多聞院総代
広島市佐伯区区民ハイキング幹事
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森田文吉さんは、当年とって80歳。
現在、株式会社日興商会常任監査役や真言宗多聞院檀家総代、広島市佐伯区区民ハイキング幹事を務めながら、広島中央ライオンズクラブや茶爐夢会(さろむかい)という異業種交流会に皆勤し、年1回の海外ツァーを企画するという元気な高齢者である。
ユニークな人柄でも知られる森田さんは、筆者のNTT時代の先輩ということもあって忌憚のない話を披露してくれた。 |
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インド
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エジプト
海外旅行
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◆森田文吉さんの最大の特色は、ばかでかい地声である。
昨年の暮れ、リーガロイヤルホテルのロビーで今回の記事のインタビューをしていると、5メートルくらい離れた座席の若い女性が近づいてきて、
「話の内容から察すると、いつかツァーでお会いした森田さんではないですか。わたし、S子です」
と可愛らしい笑顔を浮かべて言った。
「うーん。奇遇だねえ。5〜6年くらい前、海外旅行したときの添乗員だったS子さんか」
彼はご機嫌で、声はますます大きくなる。
「海外旅行はライオンズクラブでもよく出かけたものだが、自分で企画しだしたのは、15年くらい前かなあ。
団体旅行の世話で一番苦労するのは人集めだよ。最低ラインの10人集めるため、電話をかけまくった。電話料が何万円もかかるのには参ったね。まあ好きだからできたんだろう。
人がようやくまとまったので、今月18日から、1週間ばかり出かけてくるよ」
と嬉しそうに語る彼は、無類の世話好き、人間好きだ。だからこそ、こんな世話を続けてこられたのだろう。
◆昨年11月、広島市産業会館で開催された株式会社日興商会(本社尼崎市・資本金3億円)の展示会に出かけた。文房具・コンピューターなど各種事務用品が展示されている、なかなか充実した展示会だった。
森田さんが、日興商会の常務取締役、広島支店長など数人の幹部や、展示会に訪れる建設会社社長などを紹介してくれた。1971年から日興商会常任監査役を在任しているという彼は、会社とのかかわりをつぎのように語った。
「日興商会のオーナー社長(現社長の父)は、ぼくの従兄なんだよ。
今では文句をつけられないほど立派な会社になったが、20数年前は、まだ3ちゃん的体質(父ちゃん母ちゃん息子)を持った会社でね。
中小企業が生き残っていくためにはオーナーのリーダーシップが必要で、やむを得ない面もあったが、資本金が3億円ともなると、3ちゃん企業からの脱皮が必要と思ってね。機会あるごとに、経営近代化の必要性や社員を大切にすることの重要性を主張した。まあ、親戚の人間だから言えたんだろう」

日興商会広島支店のメンバー(1989)
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日本電信電話公社中国通信局・広島市外電話局
(現在、そごう・クレド・リーガロイヤルホテル)
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「広島支店が開設されたのは1987年。このときは、いろいろ自分なりに努力したね」
◆こんな森田さんを育てたのは、NTTの前身である日本電信電話公社である。
福山電報電話局次長、松江電報局長、可部電報電話局長を歴任、1979年退職した。
約40年にわたる彼の公社時代は、ユニークな人柄だけに話題が事欠かないが、中でも特に異色ぶりを発揮したのが労働組合対策だった。
「松江電報局長のとき、組合が窓ガラスにビラ張りをした。当時、公労協にはストライキ権がなかったので、その代替手段としてやったんだね。今では信じられないような話だが、外が見えなくなる程のえげつない張り方だった。
張ることにも問題があったが、一番の問題は、春闘が決着した後、公社側が剥がしていたことだった。ぼくは、張った方が剥ぐべきだと突っ張った。今なら当たり前のことだと思うけど、当時としては異色だったんだね。いろいろな抵抗があったよ。それにもめげず突っ張っていたら、いつの間にか剥がしてあった」
◆森田さんがライオンズクラブに加入したのは日本電信電話公社松江電報局長時代。それから10数年の歳月が流れたが、この間、ここでも彼は一言居士ぶりを発揮した。
「ライオンズ誌という全国誌に、ライオンズの改革案を何回となく出したんだ。すると全国的にたくさんの同調者が出てね。面白かったなあ。
ライオンズでは『ウォー、ウォー』とおたけびする慣習がある。働きもしない横着ものの牡ライオンの真似をするのは止めようと、主張したんだ。
もう1つ強く主張したのは、本来、ライオンズは奉仕団体なのに寄付団体になっていること。盲人に白い杖を寄付するよりも、手を引いて一緒に歩いてあげることの方が大切だと訴えたんだ」

広島中央ライオンズクラブへ
新入会員を紹介する
森田さん(奥の列) |

多聞院毘沙門天本堂
および会館落慶法要
前列右から3人目
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◆檀家数1200という真言宗多聞院(広島市南区比治山町)の総代を引き受けたのは、10数年前のことである。
「地位も名誉もお金もない者に、なんでやらせるのかとお断りしたんだけど、頼まれると弱いんだ」
引き受けたからには、いい加減なことでお茶を濁さないのが森田さん。多聞院のルーツといわれる音戸町波多見への石碑設立に際しては、一方ならぬ尽力をした。
立派な墓の写真を見せながら、
「これは、ぼくと女房の墓だよ。寺院の中の墓地につくったんだ。法名は、ぼくが『文殊院眞徳泰道隆然居士』、女房が『慈眼院貞室妙操愛眞大姉』というんだ」
と嬉しそうに話す彼の横顔には、やることはやったという達成感かあった。
彼の人となりは、一言でいえばユニーク。しかし単なる変わり者ではない。原点をこよなく大切にし、主張すべきは主張する。弱きを助け強きをくじくという親分肌もある。それでいて、バランス感覚も優れている。
思えば、こんな森田さんだからこそ、あれだけ思い切った意見を言い続けながら、多くの人たちから慕われ大切にされてきたのだろう。これからも、大きな地声で楽しい人生をおくっていくことだろうと思った。
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