「心無にして大なり」
高見勝彦・心の遍歴


高見勝彦さん
高見勝彦さん
(株)タムラ代表取締役社長


高見さんの名刺

高見勝彦さん
高見勝彦さん
(株)タムラ代表取締役社長
昭和14年2月3日生まれ
広島市出身
◆高見勝彦さんは、理美容品総合商社・株式会社タムラの代表取締役社長である。
 名刺に大きく書かれている「心無にして大なり」の意味を尋ねた。


「人間がこだわりやとらわれを無くすると、大きなことを成し遂げられるという意味に理解しています。心の師である青木盛栄先生からいただいた言葉です。座右の銘にしています」
 このように答える高見さんは文字通りの福相で、人間としての器の大きさを感じた。


 青木盛栄師との出会いは平成元年で、それから師が亡くなられる7年まで、密度の濃い教えを受けた。
「先生は心の中に神があると説かれていましたが、宗教家ではありません。一番大切なのは心だと教えられました。お金では動かない方でしたね」


◆株式会社タムラは、先代の田村幸一さんが大正15年個人商店として創立したもので、娘婿の高見さんが請われて入社したのは昭和42年の28歳のときのことだった。


「入社当時は有限会社田村商店でした。当時の会社の状況はかなりひどく廃業寸前といった感じでしたが、高度成長時代で恵まれていたこともあって、会社は順調に成長、昭和53には有限会社タムラ、昭和55年には株式会社タムラと躍進し、従業員も2人くらいから50人へと増えました。事業内容も当初は理容用品だけでしたが、美容用品、エステ用品、健康食品などの領域にも拡大しました」


(株)タムラの概要
設立 大正15年10月1日
資本金 2650万円
従業員 50名
本社 広島市西区商工センター1−4−37
TEL 082-277-6060
事業内容 理美容品総合商社、一般ギフト事業、健康事業、ネットワーク事業など
 
タムラは本物の会社を目指します

仕事は楽しくやるもんだ。
社員は仲間だ。
チームワークで皆の幸せをつかもう!!

●本物の会社としては
・社員が豊かで幸せであること。
・社長と社員が一丸となって
夢の実現をすること。
・一人一人が精鋭であり、
人間としてすばらしいこと。

●私たちの夢
・日本で一流の商社になること。
・夢の楽園作り
・全国制覇
 

◆高見さんが一番苦労したのは、人の問題だった。
 お得意先は理容店や美容院のオーナーで、個性豊かな人が多く、営業マンの人間的資質が即販売成果につながった。


 しかも、取扱商品は2万点もあり、1人前の営業マンになるには3年もかかった。
 このように大切な経営資源である営業マンが、独り立ちできるようになるとすぐに辞めていったのである。
 

「お得意さんまで連れて辞めるんですから、つらいですよね。これは当社だけでなく、業界全般の体質でもあったんです。
 社員が独立を考えなくてもいいような会社を作らなければと、真剣に考えました。そこで昭和54年から新卒者採用に踏み切り、社員教育に力を入れたんです。会計事務所から、無茶だと叱られるくらい金を使いましたね」


 社員教育に導入したのは人間開発セミナーで、それこそ猛烈に打ち込んだ。その成果があって、社員の定着率は向上し売上も上がっていった。
 そこで社内研修に限定せず社外にも公開したところ、部外者の受講も着実に増えていった。


 ところが、このセミナーから撤退するのである。
「セミナーをやれば、受講者が商品を買ってくれました。しかし、これは商売の本道ではないと悩みました。そのあげく、撤退を決意したんです」


 その頃、谷口さんという世捨て人のような牧師に出会った。
「その方は1年ほどして亡くなられましたが、人としての生き方について少なからぬ薫陶をうけました。それから青木盛栄先生に出会ったんです」


◆青木盛栄師に会ってから彼は、大きく変貌した。
「それまでの私は、社員にとって厳しくこわい存在でした。身勝手なところも多く、気に入らないとよく怒ったものです。それが温かい関係になり、ホンネで話し合えるようになりました。面従腹背といったところも、なくなりましたね。風通しのいい会社になりました」


 青木師を招いた最初の社内研修会のときのことである。
 高見さんは、社員を前に社員の幸せを願っているとあいさつしようと思ったのだが、金縛りにあったようになり、声が出なくなった。
「口先だけで、心から出た言葉でないことに気付いたのです。冷や汗が出ました。多分、青木先生もわかっていただろうと思いますね」


「もう一つ強烈な思い出があります。社員10数人を連れて先生のセミナーに参加したときのことです。参加者は全部で150人くらいだったでしょうか。
 セミナーの終了前に、会社ごとに意見発表をしました。当社は専務が発言したんですが、これを聞いて、先生が猛烈に怒り出したんです。それは半端なものではありませんでした。私はいたたまれなくなり、室外に出たんです。しばらくして専務が出てきたんですが、意外なことに、つきものが取れたような明るい顔をしていました。彼が社員を前に、これまでの自分を反省すると言ったら、みんな大喜びしたんです。それから専務は目に見えて変りましたね」

高見勝彦さん
◆青木師が亡くなってから5年後の平成12年、前島ひで子さんに出会う。前島さんの考え方は、青木師と同じ方向のものだった。


「青木先生のときは小学生、前島先生になって中学生になりました。前島先生は『死ぬときに持っていくことのできないものに執着するな。心を磨くことが一番大切』と常々言われています。また、『人間には心と肉体がある。宗教は心のことばかりいうが、肉体も大切。物も豊かにならなければならないし経営も大切』と説かれており、深く共感しています」


 彼の心の成長にかける情熱はひたむきである。このひたむきさが、谷口さん、青木盛栄師、前島ひで子さんと、つぎつぎに得難い出会いを呼んだのだろう。


「自分のこともままならないのに、他人を使うのはムリです。低い次元の人が高い次元の人を使うことはできません。結局、自分を高めるより仕方がないんですね。商売は感動です。感動のある人間でなければ、本当の商売はできません。そのためには、心を磨くよりほかはないんですね」
このように言い切る彼の笑顔には、人をひきつけ安心感を与える何かがあった。


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