◆株式会社第一ビルサービスの会長を務める岡島元子さんは、13年前から水墨画に情熱を燃やしており、作品レベルは趣味の域を超えると評価されている。
岡島さんは、穏やかな笑顔を浮かべながら水墨画を始めた経緯について語る。
「かつて、ちぎり絵4年、生花4年、書道13年、短歌6年と手がけていました。18年前に主人が亡くなったとき、これらの習い事を一切断念したんです。仕事が忙しくて、時間的にムリになったんですね。
それからしばらくして、なんとか仕事が軌道に乗り始めた頃、水墨画を始めました。これは今もホンキでやっており、毎年、20号、30号の作品を3点くらい出展しています。
最近、業者の方に売らせてくれと言われるんですが、タダならいいけど売るわけにはいかないと断っています」
◆彼女の主人、岡島正行さんが株式会社第一ビルサービスを創業したのは、今から40年前の昭和38年のことである。当時の様子についてつぎのように語る。
「会社を起こす前、主人はあるビルメンテナンス会社に務めていたんですが、給料の遅配が続きましてね。それも4ヶ月にもなったので、たまりかねて私が社長のところへ直訴に行きました。
社長が留守で奥さんが応対されたのですが、けんもほろろの態度でした。そこで主人に、同じ苦労するのなら会社を起こそうと言ったんです」

岡島正行さん・・右
岡島元子さん・・左
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岡島元子さん・・右
長女の加津子さん・・左
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それから会社を設立、お得意さんなどの力強い応援や従業員の懸命な努力のおかげで、仕事は順調に推移した。
ところが、たいへんな落とし穴が待ち受けていた。創業後3年目のときに迎えた経理担当役員が、かなり大きな金額の横領をしたのである。
「有能な方なので、経理の仕事のすべてを任せていたんですが、不審なことが目立つようになりました。主人の岡島はお酒を飲まないのに酒場から請求書がたくさんくるし、月々の支払いも目立って増えてきたんです。
帳簿を見せてくれというと、拒否されました。それでも無理やり帳簿を見ると、やはりおかしいので税理士さんに見せたら、これはひどいとびっくりされていました。相当額の穴があいていたんです」
これから先が、常人には予想もつかない展開になる。ご夫妻は、横領した張本人に資金や仕事まで与えて独立させたのである。
「損害額は銀行から借り入れし、1年半かけて返済しました。横領した方が月賦で支払うように取り決めていたんですが、結局、1回しか払ってもらえませんでした。
しかし、恨んだり、むしかえしたりすることはやめようと、主人と話し合ったんです」
◆岡島さんの長女加津子さんと結婚した杉川聡さん(現第一ビルサービス社長)が入社したのは、昭和55年のことだった。
「杉川さんが銀行を退職して、ここにきたいというので、せっかく銀行に入っているのにと、私たちは当初反対したんです。ところが本人の意志が固かったんですね。
入社してしばらくたった頃、主人が『大学出なのに、一生懸命、便所掃除をしている。あれは見込みがあるよ』と感心していました」と、当時を回顧する。
それから5年後の昭和60年、岡島正行社長が肝臓ガンで亡くなった。享年71歳だった。
「主人は亡くなるとき、まったく苦しみませんでした。困った人を見ると放っておけない性格で、よく無職の人を家に連れてきました。犬や猫も随分と拾ってきたものです。こんなことで、死に際がよかったのかも知れませんね。
死ぬ直前に、『こんないい会社になったのは、お前のおかげだ。ありがとう』と言ってくれました。この言葉は、今でも忘れることができません」
◆杉川聡社長就任とともに、岡島さんは会長に選任され、以後、杉川社長のよき相談相手として活躍している。
「後継者を杉川聡さんにしてよかったと思っています。後継者の選定には、私情が入ってはいけないと、つくづく思いますね」
岡島さんは、私心のない温かい人柄のために、現場や本社の社員から心から慕われており、会社の精神的支柱になっている。
大正14年生まれの78歳だが、これからも公私ともに、今まで以上に価値ある日々をおくっていかれることだろう。
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