| 音楽一筋に生きる ひげG&YUMISAN
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◆ひげGは、シンガーソングライターとして、ライブハウスやイベント会場、ストリートなどで活躍しており、これまで作った歌は300曲を超える。ストリートでの演奏を始めたのは数年前からで、今ではストリートミュジシャンたちの兄貴的存在になっている。ひげGの名前は、若いストリートミュジシャンが「ひげのおじさん」と言う意味で呼んだのが始まりという。 現在、彼は「出前ライブ」について力を入れており、つぎのように説明する。 「最近は出前ライブに全力をあげています。10〜30人のお集まりがあれば、マイクとアンプを持って伺います。場所はレストラン、ラーメン屋、自宅、どこでもOKです。お気軽に声をかけてください」 YUMISANの名前は、「本名ゆみさん」からきている。 彼女の音楽活動は、平安閣Le Cielのレギュラーミュージシャン、陸海空自衛隊の入隊式典等における演奏、個人技能試験コンクール、ZAOうたごえ、広島合唱団の伴奏、みんな仲良しコンサート、0歳からのミニミニコンサートなど非常に多方面にわたっている。 ひげGが彼女の演奏について語る。 「彼女のキーボードもいいけど、ピアノはもっとすごいんですよ。スタンウエイ創立150年周年で、世界限定150台の一つを弾いたんですからたいしたものです」
◆ひげGがギターを手にしたのは高校時代で、ビートルズやポブ・ディラン、日本のミュージシャンではチューリップ、はっぴえんどに心酔した。プロの前座やキャバレーのバンドで腕を磨く。 25歳のとき、ラジオのリポーターをしたのがきっかけでDJになる。翌年にはレコードも出した。広島・愛媛・山口の放送局で6本のレギュラー番組を持つ。 オープンカーの外車に乗り、腕にはロレックスという得意の時期が続いた。 ところが、失速が突然やってくる。 1993年38歳のとき、声帯ポリーブが見つかり、2度の手術を受け生死をさまよったのである。ようやく治り退院したものの、レギュラー番組はつぎつぎとなくなっていった。 「派遣販売員、引越しアルバイト、居酒屋店長、いろいろやりました。ところが、何をやっても続かないんです。妻も去りました。そのあげく家にこもってしまったんです」
「しかし、とにかく歌いたいという気持ちは、抑えることができませんでした。路上だっていいと思い、1996年の秋からストリートでも唄うようになったんです。路上には、毎日のように新しい出会いがありした。阪神大震災で娘を亡くした人にリケストされたことがあります。唄うと、彼は泣きながら私の手を握りました」 ◆YUMISANのこれまでの演奏活動は、つぎのように幅広く、その実績が評価され陸海空自衛隊より表彰されている。 ・原水爆禁止世界大会式典演奏 ・第8回国際アニメーションフェスティバル開催予告CM収録作曲演奏 ・Peace Wave Concert参加 ・チェルノブイリ支援演奏会ナターシャ・クジーコンサート参加 ・たかたりゅうじ歌つくり30周年コンサート ・日本うたごえ祭典in福岡3位次席入賞 ・スタンウエイ創立150周年にちなみ世界限定150台だけの限定特別モデル、披露演奏 ・もみじ作業所各施設での演奏など
「彼女の一番得意とするところは、いわゆるコンポーザーです。いろいろな楽器の曲をアレンジし、ピアノ曲に編成していくんです。いわばピアノコンチェルトを1人で弾くようなものです」と、またも、ひげGが素人わかりするように補足説明してくれる。 ◆ひげGはボイストレーナーの仕事で一定の収入を確保しながら、数年前から広島市比治山公園で青空音楽会を開いたり、各種施設での演奏活動を繰り広げている。 一方、YUMISANはピアノの先生をしながら、好きな音楽活動を続けている。 ひげGは語る。 「2人の活動の仕方は、とてもよく似ているんです。音楽以外のことは不器用で、まるでできません。ひたすら音楽だけをやっていくしか、生きようがないんです」 これからの夢を聞くと、ひげGの夢は意外にささやかだった。 「資金を貯めて、初めてのオリジナルCDを1枚つくりたいですね。それに8月6日が広島市民の休日になるといいですねえ」 YUMISANは、やさしい笑みを浮かべながら答えた。 「子どもさんにはショパンの曲を、高齢者の人には青い山脈のような曲をコーディネート、アレンジして、演奏したいです」 |
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