| ノンフィクション作詞作曲家と自称! あどRUN太さん
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◆2年前、交通事故で頭部を打撲、右半身不随になった吉田町の河野美奈さん(32)が、昨年のクリスマスのとき、あどRun太さんの歌を初めて聴いた。そのとき、まったく表情がなかった美奈さんに、感情表現が戻る。 これがきっかけになり、5月5日には、あどRun太さんが美奈さんの自宅を訪問、励ましのミニコンサートを開いた。 今回も美奈さんの顔には、笑みが浮かび涙がこぼれた・・・(6日中国新聞朝刊) あどRun太さんの歌には、ジーンと心深く訴えるものがある。それはどこからくるのだろうかと思っていると、彼が笑いながら言った。 「今までつくった歌は200曲以上になると思うけど、子ども、妻、父、母などを想いながらつくったものばかりです。結局、ぼくはノンフィクション作詞作曲家なんですね(笑)」 「おふくろが入っている老人ホームでコンサートを開いたときは、様にならなかったなあ。140人くらいの前で、涙が止まらないんです(笑)。でも、おふくろは随分と鼻が高い思いをしたようで、親孝行にはなりましたね」 ◆彼は39歳になったとき、所長に抜擢されたばかりの広告会社(7年間勤務)を辞めた。そのきっかけは、ライバルだった友人の急死である。病に倒れた友人の姿を見ていると、自分の将来が映し出されているようで、こんな人生では味気ないと思った。 それから、ギターの講師をしたりしながら、歌をつくっていく。 ![]() 最初の作品は「ゆりかごの子守唄」だった。 仲人がわりをした夫婦に女の子が生まれたとき、お嫁さんが「お祝いのお金は要りません。世界で1つしかないものをください」と言った。そこでつくったのが「ゆりかごの子守唄」である。 お嫁さんは感激して声をつまらせながら言った。 「この子がお嫁にいくとき、もたせてやります」 ◆1998年、少年問題をテーマにした最初の曲「少年よ夢を持て」を書き上げる。中学生や高校生を子に持つ親からの反響は予想以上だった。 評判は口こみで広がり、学校でのコンサートの輪が広がっていった。こんなやさき、思いがけない不幸に遭遇する。 三男が同級生数人から、集団リンチを受けたのである。その後、家に閉じこもる息子を見て、あどRun太さんは自信を失っていった。こんな自分に歌が歌えるのかと。 しかし、やがてその傷も癒え、再び力強く歌い始める。2000年には「第2回新しい日本の歌コンテスト・グランプリ」を受賞した。 そんな彼に、またも大きな不幸が訪れた。2001年、悪性リンパ種に倒れたのである。意識不明になり担ぎ込まれた病院で、「これはダメだね」という医師の声が耳に入った。ところが、抗がん剤が奇跡的に効き、めきめき回復していったのである。 家からギターを持ってきてもらい、院内で慰問を兼ねて歌った。涙を流して喜んでくれる重症患者もいた。 ![]() 「病気をして、人の痛みや、やさしさがわかったんです。病気の重い人から、たくさんのことを教えてもらいました」 ◆退院後は、ますます精力的に活動を展開。今年の5月には大手レコード会社から、CDアルバムを発売する。 「地位とか名誉よりも、いつも純粋になりたいと思っています。ところが、つい、いいかっこうをするんですよね」 「人のおかげで生きられているんです。愛を発信したいと心から思っています」 これは、彼のホンネの発言だ。これがある限り、あどRun太さんの歌は誰からも愛され続けるだろうと思った。 |
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傷ついたこころに、哀しみの涙に、光を灯す優しい歌の贈り物 あどRun太(あどらんた) 2003.5.21(水)全国発売決定 デビューアルバム「笑おうよ!」
第2回新しい日本の歌コンテスト・グランプリ受賞曲「笑おうよ!」を含む15曲収録。
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■アドRUN太さんのプロフィール■柳井市生まれ。53歳。広島市在住の作詞作曲家。 本名・渡橋一則(おりはしかずのり) 広告会社に7年勤め、所長になったのを機会に退職、音楽家へ転進する。(39歳) それから10年、音楽活動も軌道に乗り始めたころ、三男が集団リンチにあい、強烈なショックを受ける。 その苦しみも癒え、2000年には第二回新しい日本のうたコンサートの自由曲部門でグランプリを受賞したが、その翌年、悪性リンパ種に倒れる。 その病からも奇跡的に立ち直り、今年5月21日には、CDの初の全国発売をする。 |
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(戸村彰義・後原見香/カラーセラピスト) |
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