| 身体障害者でありながら 福祉活動に意欲的に参加する 藤井邦隆さん
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聞き取り難い藤井さんの言葉の通訳をしてくれるのは、ヘルパーの岩村さんだ。彼女は笑いながら説明する。 「馴れると、すぐにわかるようになるんですがね。私は長いこときているので、気心も通じてケンカばかりしています(笑)」 藤井さんは、ままならない手でパソコンを打ち、書き溜めてきた資料をもとに、このたび「GRAY/障害者になって見えた社会の摩訶不思議」という本を出版した。障害者の苦しみや福祉のあり方などが体験的に書かれている力作である。関心のある方は、ぜひご購読ください。 ・発行所・・・株式会社ガリバープロダクツ ・価格・・・1714円+税 ◆彼の所属団体に、「ほのぼの広島会」がある。会員は48名。「無理なく楽しくやろう市民ボランティア」を合言葉に、車いすツァーを年2回開催したり、広島繁華街バリアフリー・トイレマップを9000枚無料配布したり、公共施設・公共交通機関のバリアフリーチェックを行ったりしている。 会の主力メンバーとして活動している藤井さんは、その活動状況をつぎのように語る。 「障害者にもできる活動があります。例えば障害者にしか見えない情報の提供です」
「障害者といえども、酒場に行きたいですよね。会では、現在、バリアフリー飲食店マップの製作に全力を挙げています」 彼の活動範囲は広く、「タウンモビリティ楽会」に参加したり、「太田川福祉マップづくり」の責任者になったりしている。 ちなみに、タウンモビリティ楽会は、電動スクーターを商店街や観光地などに配備しておき、移動弱者に無料で貸与する全国規模の組織である。 ◆藤井さんは大分生まれ。広島に居住したのは昭和46年、22歳のときだった。 外資系OAメーカーに就職し20年間勤務した後、平成2年独立してフードチェーン店を設立した。42歳のときのことである。 それから半年後、思いがけない不幸が待っていた。脳血栓で倒れたのである。 「手術できません、親族を呼ばれた方がいいですと、家内に話している医師の言葉が聞こえてきました。それでも命は取り留めることができましたが、言語や手足の障害は治らないと医師から宣告されたときの絶望感は、今でも鮮明に覚えています」 「多額の債務の取り立てから守るため、妻子とは離別しました」
それから障害者施設に入所する。施設は不自由で淋しかった。しかし、入所者の裏表のない真面目な行動をみているうちに、考え方が変っていった。過去と決別し、現在の自分にあった生き方をしようと思うようになったのである。 ◆平成8年、4年間いた施設を出てアパート生活に入った。最初のうちは自立の満足感にしたり、何もしない日が続いたが、やがて外に出て、いろいろな福祉活動に参加するようになった。 「一時は絶望のあまり、命を断とうとしたこともありました。自分が一番不幸だと思ったんです。ところが、たくさんの身体の不自由な人がいることがわかり、気持ちが変わってきました」 「倒れる前には見えなかったものが、見えるようになったのです。健常者のとき、障害者に冷たい目を向けていたことを、今、深く反省しています」 「現在の都市環境は健常者には便利であっても、障害者にとってはきわめて不自由なこともわかってきました」 彼は障害を得たことにより、内面的な成長を遂げたのだろう。「皆、人間として生を受けている。弱者も強者も互いに理解しあい助け合う社会を創っていきたい」という言葉に、その成長の大きさを感じた。 |
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| (戸村彰義・田尻裕) | ||||
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