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会うなり、このように切り出したのは、ひろしま・カンボジア市民交流会代表の國近京子さん。60歳と聞いていたが、とてもそんなには見えない迫力がある。 「自分の立場ばかり考えているから戦争になるんです。平和って、相手の思いと立場を理解しようとするところから始まるんですね」 「復興中のカンボジアを知ることは、すごく意義があります。けれども人口や面積などのデータだけでは、真のカンボジアはわかりにくいでしょう。生活面を実際に見ることが大事なんです」 「今の日本では、人間として一番大切なものを教わることができません。例えば、昔、お母さんが作った、ほかほかのおにぎりの味。それが、今ではコンビニのおにぎりですものね」 このように熱心に語る國近さんが交流会の代表になったのは、1994年12月。それから、カンボジアに8回行ったという。 ■國近京子さんは、1941年広島市生まれ。3歳のとき被爆し、瓦礫の中で遊び育った。アメリカの文化センターを覗くと、きれいなテーブル・クロス・紅茶・クッキー・真っ白なカーテンが・・・。そんな生活が、当時の彼女の憧れだった。 ピアノが好きで、高校の時にはすでにプロ並みの腕前に。アルバイトで先生の代役までしたという。東京の学校への進学を夢見ていたが、お母さんが倒れたために断念。中途半端が嫌いな國近さんは、地元の安田女子大学の保育科に入った。 大学を卒業後、6年間の幼稚園勤務を経て結婚。ご主人の転勤にともない全国各地を転々とした後、10年ほどして再び広島へ。 しかし、久しぶりに見る広島は変っていた。意識、ものの考え方・・・・様々な面で、他県に比べ劣っていると肌身で感じ、PTA活動・地域の子供会・文化活動などに積極的に参加するようになった。 ■彼女の思いの深さを知るエピソードの1つに、1992年に開店した「サロン明元素」がある。広島の男性が「家に帰るのが幸せ」という気持ちになれるお店づくりを目指し、お酒やお食事を扱った。随分と繁盛したが、繁盛すればするほど、赤字がふくらんみ、やむなく、10ヶ月で閉店した。「幻のサロン明元素」と國近さんは笑う。 ちょうどその頃始めた「劇団・稲垣美穂子さんの愛の目覚時計[ミュージカル]/青少年の心を育てる会」の世話人活動は、現在も続き、今年で10周年を迎える。 「カンホジアと広島の平和のシンボルであり、交流の拠点ともなる『ひろしまハウス』が、カンボジアで建設されています。資金は募金と助成金。1995年に着工しました。2004年の完成を目指して、日本のボランティアやカンボジアの人たちと力を合わせ取り組んでいます」 目を輝やかせながら語る彼女は、生来のロマンテイシスト。これからも、たくさんのことを夢見ながら、ひとつひとつ実現していくことだろう。
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