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◆15年間、雨の日も風の日も1日も休むことなく、毎日約15キロメートル走り続けている人がいる。 坂町商工会に勤める奥村冨士雄さんだ。奥村さんが「毎日連続走」を始めたのは昭和60年12月15日。元カープの衣笠選手の「連続試合出場世界一、2215試合」に挑戦しようと思った。それから今までひたすら走り続け、今年の7月16日現在、連続走日数は5521日、連続走距離は93809キロメートルに達した。 9万キロメートルというと、地球の円周(約4万キロメートル)の倍以上の距離。これだけの距離を走り続けたのである。もっとスゴイのは、15年間1日も休まずに走ったという記録だ。雨の中を傘をさして走ったり、旅先ではフェリーの甲板やビルの屋上を走ったりした。 ◆奥村さんは、小さい頃から運動会が大嫌い。かけっこで3位以内に入ったことはないという。そんな彼が変身したのは、大学のサイクリング部に入部したときから。基礎体力づくりのために走るようになった。 さらに大きな転機は、昭和57年1月1日、34歳のとき。走行距離「年間1000キロメートル」の目標を立てたのである。そのとき、タイミングよく、SMI〔サクセス モチベーション インスティテュート〕と出会った。SMIから「1の成功を収めれば10の成功は近い。同じ目標を立てるのなら、大きな目標を!」と教えられた。この年1456キロメートルを達成する。
それから、アキレス腱を切り1週間走れないこともあった。それでも、昭和60年1月には延べ走行距離が1万キロメートルを突破した。 その年の12月15日、運命の「連続走」を開始する。 ◆走り始めてから19年間、国内外の数々のマラソン大会に出場。昭和63年の第19回防府読売マラソンでは、自己最高の2時間37分18秒の記録を出した。 平成3年11月には広島県では唯一のフルマラソン大会「第1回広島ベイマラソン大会」を主催、全国から756名の参加を得る。 広島アジア大会では、聖火リレーにも参加するなど、多彩なマラソン人生が続いた。 ◆彼は語る。 「マラソンを通じて得た教訓は、第1に目標はしっかり掲げること、第2に継続は意志の力、継続することにより偉大な力が生まれる」 「走ることにより心身ともにたくましくなり、発想も豊かになった」 「マラソンが縁になって、多くの友人を得た」 このように語る彼のもっとスゴイところは、これからの目標。全部で8項目〔上表〕の目標は、発想豊かな夢多きものばかり。「過激な運動をやりすぎると、身体によくない」という説がある。この説も、奥村さんの前には色褪せているように思われた。 |
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