臨死体験が生き方を変えた 灘和博さん
灘さん
63歳
広島生まれ、広島育ち
Tel 082-888−4516

Fax 082-889-1593
http://www.h2.dion.ne.jp/~knada/



灘さん■エージェントなだ代表、ひろしまえひめ能力開発研究所代表、朴風〔かぜ〕の会会長、株式会社サーマル顧問、矢野町氏子総代会長・・・・これが灘和博さんの現在の肩書きである。


 ちなみに、主な仕事を説明すると、
◆エージェントなだ・・・東京海上火災等の保険代理店。火災・障害・ガン・生命・自動車・賠償の保険業務を扱う。
◆ひろしまえひめ能力開発研究所・・・次のセミナーを開催。
・9つの性格セミナーとしても有名なエニアグラムセミナー〔講師吉田久夫先生〕
・潜在能力開発プラスマインド研修〔講師田代千明先生〕
・マネージメントゲーム研修


◆朴風〔かぜ〕の会・・・広島の音楽文化の向上のために設立された会。奏者は梶川純司さん中心のプロ集団。コンサートは、大手町喫茶店マリーナでの年6回〔偶数月〕と文化財施設での年1回。


 以上のように多彩な活動を展開する灘さんだが、一応の収入があるのは「エージェントなだ」だけ。それ以外の仕事はマイナス収支か無収入。 「生きがいとしてやっているんですよ」と柔和な笑顔を見せる灘さん〔63歳〕だが、ここまでくるには、大変なプロセスがあった。


■灘さんの人生の転機は、43歳のときに体験した大病と臨死体験である。
灘さん
灘さん
左 灘和博さん
右 朴風の会事務局長
中川公一郎さん
大手町喫茶店マリーナ

それまでの灘さんは、典型的な高度成長期の企業戦士。勤め先のフジの取締役事業開発部長として、店舗の拡大に全エネルギーを傾注。休みは元日の午前中だけという、並外れた猛烈サラリーマンだった。


 この灘さんが、43歳になったとき、どうした風の吹き回しか家庭サービスを思いつき、初めて有給休暇をとった。奥さんと子供さん3人づれで、四国の石鎚山にドライブしたのである。


 体調に異変が起きたのは、一泊した翌朝のことだった。胸に締めつけられるような痛みがあり、口がうまくきけなかった。それでもムリして運転、面河渓に到着したが、ここで意識を失った。
 これからが、まことに不思議な体験だった。
・言葉が出ないのに、耳だけは聞こえる。
・目は見えないけど、明るさ・暗さは感じる。
・今まであんなに痛かった胸が、なんともなくなった。
 こんな状態が、しばらく続いた。


 診療所での医師の言葉は、今でも、明確に記憶に残っている。
「心筋梗塞です。血圧の上が45。瞳孔も開いています。とても助かりません。身内の人をすぐに呼んでください」


■救急車で診療所から救命センターへ運ばれる途上、こんな体験をした。
「暗い河を猛スピードで飛ぶんです。右の岸へ行ったり左の岸へ行ったりして。右へ行ったときは、家族などの呼び声が聞こえるんですね」
灘さん

灘さんの主な略歴
1939年 広島生まれ。
1957年 広島県立海田高等学校卒
1957年 株式会社十和入社
〔現在 株式会社 アスティ〕
1967年 フジへ出向
1982年 心筋梗塞・脳血栓で倒れる。
1982年 フジ関連会社へ出向
1985年 退社
1988年 保険代理店「エージェント・なだ」を設立。
1995年 ひろしまえひめ能力開発研究所設立
2000年 朴風〔かぜ〕の会会長就任


 
救命センターに着いたら、会社からAさんたち3人がかけつけてくれている。身体から離脱した灘さんは、彼等を上から見ていた。


 これには後日談がある。意識が戻ってから見舞いにきたAさんに、3人がかけつけたときの様子を話したら、ぶったまげていた。
「死んでも、灰になるまでは悪口を言ってはいけません。全部、聞こえているんですから。ぼくの場合は、悪口を言われなかったので、現在の家庭があるんですよ〔笑〕」
 灘さんは、奥さんたち家族に、すごく感謝していると語る。


■幸いにも一命を取り戻した灘さんを待っていたのは、言語障害と右半身不随との闘いだった。これも、3年間のリハビリで回復した。


 仕事の方は、フジを退社後、「エージェントなだ」を設立した。そうして、仕事の取り組み方も変った。
「病気をする前は、負けない勝つという気概で生きていました。生きているという気持ちでしたね。これが、今では生かされているという気持ちに変ったんです」


「生かされている人生を、他人のために役立てるにはどうすべきか思いめぐらしていたとき、エニアグラムに出会ったんです。この普及こそ、ライフワークだと思いましたね」


 体調が悪かった昨年の灘さんを思い出した。再発したのか、字も書けなかったのである。このためか、エニアグラムセミナーの受講者も思うように集まらなかった。まだやるのかと聞いたら、当たり前だという顔をしていた。三途の川を渡りかけた男は、違うなあと思ったものである。


「エージェントなだの収入も十分でないし、その他の事業は金がかかるだけ。家内が働いていなかったら、とてもやってこられなかったですね。家内に感謝しています」
そこには、仕事の鬼の灘さんが仏の灘さんに変身した姿があった。


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