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■エージェントなだ代表、ひろしまえひめ能力開発研究所代表、朴風〔かぜ〕の会会長、株式会社サーマル顧問、矢野町氏子総代会長・・・・これが灘和博さんの現在の肩書きである。ちなみに、主な仕事を説明すると、 ◆エージェントなだ・・・東京海上火災等の保険代理店。火災・障害・ガン・生命・自動車・賠償の保険業務を扱う。 ◆ひろしまえひめ能力開発研究所・・・次のセミナーを開催。 ・9つの性格セミナーとしても有名なエニアグラムセミナー〔講師吉田久夫先生〕 ・潜在能力開発プラスマインド研修〔講師田代千明先生〕 ・マネージメントゲーム研修 ◆朴風〔かぜ〕の会・・・広島の音楽文化の向上のために設立された会。奏者は梶川純司さん中心のプロ集団。コンサートは、大手町喫茶店マリーナでの年6回〔偶数月〕と文化財施設での年1回。 以上のように多彩な活動を展開する灘さんだが、一応の収入があるのは「エージェントなだ」だけ。それ以外の仕事はマイナス収支か無収入。 「生きがいとしてやっているんですよ」と柔和な笑顔を見せる灘さん〔63歳〕だが、ここまでくるには、大変なプロセスがあった。 ■灘さんの人生の転機は、43歳のときに体験した大病と臨死体験である。
この灘さんが、43歳になったとき、どうした風の吹き回しか家庭サービスを思いつき、初めて有給休暇をとった。奥さんと子供さん3人づれで、四国の石鎚山にドライブしたのである。 体調に異変が起きたのは、一泊した翌朝のことだった。胸に締めつけられるような痛みがあり、口がうまくきけなかった。それでもムリして運転、面河渓に到着したが、ここで意識を失った。 これからが、まことに不思議な体験だった。 ・言葉が出ないのに、耳だけは聞こえる。 ・目は見えないけど、明るさ・暗さは感じる。 ・今まであんなに痛かった胸が、なんともなくなった。 こんな状態が、しばらく続いた。 診療所での医師の言葉は、今でも、明確に記憶に残っている。 「心筋梗塞です。血圧の上が45。瞳孔も開いています。とても助かりません。身内の人をすぐに呼んでください」 ■救急車で診療所から救命センターへ運ばれる途上、こんな体験をした。 「暗い河を猛スピードで飛ぶんです。右の岸へ行ったり左の岸へ行ったりして。右へ行ったときは、家族などの呼び声が聞こえるんですね」
救命センターに着いたら、会社からAさんたち3人がかけつけてくれている。身体から離脱した灘さんは、彼等を上から見ていた。 これには後日談がある。意識が戻ってから見舞いにきたAさんに、3人がかけつけたときの様子を話したら、ぶったまげていた。 「死んでも、灰になるまでは悪口を言ってはいけません。全部、聞こえているんですから。ぼくの場合は、悪口を言われなかったので、現在の家庭があるんですよ〔笑〕」 灘さんは、奥さんたち家族に、すごく感謝していると語る。 ■幸いにも一命を取り戻した灘さんを待っていたのは、言語障害と右半身不随との闘いだった。これも、3年間のリハビリで回復した。 仕事の方は、フジを退社後、「エージェントなだ」を設立した。そうして、仕事の取り組み方も変った。 「病気をする前は、負けない勝つという気概で生きていました。生きているという気持ちでしたね。これが、今では生かされているという気持ちに変ったんです」 「生かされている人生を、他人のために役立てるにはどうすべきか思いめぐらしていたとき、エニアグラムに出会ったんです。この普及こそ、ライフワークだと思いましたね」 体調が悪かった昨年の灘さんを思い出した。再発したのか、字も書けなかったのである。このためか、エニアグラムセミナーの受講者も思うように集まらなかった。まだやるのかと聞いたら、当たり前だという顔をしていた。三途の川を渡りかけた男は、違うなあと思ったものである。 「エージェントなだの収入も十分でないし、その他の事業は金がかかるだけ。家内が働いていなかったら、とてもやってこられなかったですね。家内に感謝しています」 そこには、仕事の鬼の灘さんが仏の灘さんに変身した姿があった。 |
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