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◆◆広島市の中心街、八丁堀電停から歩いて5分のところに幟会館がある。2階は、いわばNPO村。広島NPOセンターの他7つのNPOが同居している。その一つが2000年10月に認証されたばかりのNPOコーチズだ。コーチズの主な活動は、スポーツの啓発・普及とスポーツ指導者の育成。 「子供の数の減少→教員の新規採用の減→教師の高齢化→運動部の指導者減→運動部の休・廃部の増加→外部コーチの必要性の高まり」という社会的背景から、1994年、コーチズの前身、広島スポーツマンクラブが誕生した。 その後、さらなる充実発展を図る必要性から、2000年に名称変更、NPO認証の手続きが進められた。その活動の中心的役割を果たしたのが、NPOコーチズの代表理事、児玉宏さんである。 現在、コーチズの会員数は約100人。その構成は、学校の先生、会社員、スポーツクラブのインストラクター、OL、主婦など多種多様にわたる。児玉さんは、これらの人達の融合を図り、コーデイネイトしながら、いろいろな活動を推進する。 ◆◆児玉さんが、この仕事に辿り着くまでには、いろいろな経験があった。広島市の高校を卒業後、東京の洋裁関係の短大に入学。卒業すると、1年ばかりタクシーの運転手をした。渡米のためのお金を稼ぐためである。ニューヨークでまた、アルバイト。そのお金でヨーロッパに行った。帰国すると、広島市のブティツクで5年間〔24〜29歳〕仕入れの仕事をした。バブルの直前で、まだ、贅沢品が行き渡っていなかった。そのため仕入れたものはすべて売れた。自分の才能があると勘違いをしたくらい売れた。 30歳になると、メーカーのマーチャンダイザーに転職した。どんな服を作るかを決めるのが仕事である。マーチャンダイザーになるのは、学校へ入ったときの夢だった。 それから43歳までの13年間、この仕事を続けた。 辞める前の3年前頃から、業界が異常になり始めた。服が 売れなくなったのである。そのため、カネは払わない、買ったものはすぐに返すなど、商道徳がどんどん落ちていった。マーチャンダイサーでありながら本来の仕事がてきず、毎日毎日、集金の仕事に追われた。面白くなかった。先行きを考えるとぞっとした。こんなことから、43歳のとき、永年関係してきたアパレルの仕事に見切りをつけた。 ◆◆44歳のとき、縁あってコーチズの仕事に出合った。今、児玉さんはこの仕事に新しい夢を馳せている。 「コーチズからもらう収入は、生計を立てるほどはありません。今のところ、ブティックを経営する女房の被扶養者です。しかし、先は明るいですよ。高齢者向けの健康スポーツ教室などは、着実に増えています。新規事業に、プロゴルファー育成事業
アイディアマンの児玉さんの片鱗が伺える。 「将来の夢は、競技や世代を超えて、みんなが一緒にスポーツを楽しめる環境づくりです。」 ◆◆児玉さんの好きな言葉は「いつも明るく元気よく」。おかげで、奥さんに娘さん2人の4人家族は、みんないつも明るくて元気。「家に帰るのが楽しみなんですよ」と児玉さんはのろける。 「今からは、儲かる人は少なくなります。だから、儲からなくても幸せになる社会づくりが大事になります。そうしなければ、世の中は暗くなりますヨネ。明るい社会づくりに少しでも貢献したい。これが今のぼくの夢であり生きがいです」 |
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