Nさんという方からきいた話である。
Nさんは大阪在住の篤志面接員をしていた人である。死刑囚、長期刑囚に民間人として接し、悩みごとをきいたりして世話をする篤志家である。
刑務所では、それらの受刑者を慰めるため、短歌、俳句を習う機会をもうけている。Nさんは、俳人にお願いして、月1回所内の和室で死刑囚、長期刑囚と句会を開いてもらうようにした。
受刑者たちは句作などをしたことがない者たちばかりであったが、その日がくるのを待ちかね、熱心に指導をうけ、俳人が感心するほど上達した。
俳人はNさんと相談し、時には果物や植物を持ってゆき、それを主題に句作をするよう促した。
ある日、Nさんが受刑者たちと和室で待っていると、俳人が戸をあけて入ってきた。彼は満開の桜の枝の束をかかえていた。それを主題に句作をさせようとしたのである。
異様なことが起った。座っていた受刑者たちが叫び声をあげて一斉に立ち上がり、桜の花を見つめた。
通路にいた刑務官が戸を開いて入ってきた。なにか変事が起ったと思ったのである。
「受刑者の動揺はおさまらず、その日の句会は句会になりませんでした」
Nさんは、笑いを顔にうかべて私に言った。
一口メモ
いつもはあまり気にしていないが、「桜の花と日本人」は想像以上に深いつながりがあるのだとあらためて思った。囚人たちの多くはおそらく桜の花をみることなく、この世を去っていくのだろう。