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心に残る一節

さよならの四月

あて名のない手紙  宮川ひろ著 より


 日ざしが明るくなって、吹いてくる風がやさしくなると、幼かったあの日のさよならの悲しさが、からだのなかを通りぬけていくのです。
 わたしはおかしな子で、1年生を3回もしてきました。町から見えた若い女の先生に憧れて、毎朝学校までついていきました。4歳の春のことです。そしてある日教室まで入れてもらって、その日からまねっこの1年生になりました。それから2年、ほとんど休まず通いました。


 3年生の4月、きょうからほんとうの1年生です。はずんで登校しました。ところが、大好きだった女の先生はこの日から本校へ転勤されて、新しく見えた男の先生が担任だというのです。
 転勤ということばもはじめて聞きました。びっくりしました。とまどうばかりでした。


 先生とのお別れ会には、わたしも入れてもらって、先生のオルガンに合わせて、ひとりずつうたうことになって・・・。わたしの番になりました。
「学芸会のときにうたった『四丁目の犬」がいいかな。はいどうぞ」
 先生はもう前奏をひきはじめました。わたしは立とうと思いました。でも少しでも動いたら涙がこぼれそうで立てないのです。声を出してうたったら泣き出してしまいそうで、ただじっと下を向いていました。
「ほら、どうしたの、ひろちゃんのうたをもう一度聞かせて。さあ・・・・」
 先生はまたいいました。それでもわたしは立てませんでした。うたいたいのに立てませんでした。そして次の人へと進みました。


 家へ帰っても母がいっている畑へいってみる気にもなれません。街道っ端の障子を細くあけて、先生が帰られるのを待ちました。ずいぶん長い時間じっと待ちました。
 やがて男の先生といっしょに歩いてくる、先生の白足袋が見えてきました。わたしは障子をしめると、障子の中から、「四丁目の犬」を大きな声でうたいました。うたい終わると外へ出て、もうだいぶ先のほうを歩いていくふたりの先生のうしろ姿を見送りました。
 これが、わたしが、人と別れることの悲しさをはじめて知った日でした。


<一言メモ>
 ほのぼのとした味わいのある文章である。
 こんな小学校は、当時でも少なかったことだろう。草深い山間部にある小さな分校が目に浮かんでくる。
 わたしの幼児期を振り返ると、幼稚園は1ヵ月もしないうちに止めてしまっし、小学校も重い気分をひきずりながら登校した。小学校1年生を3回も経験した少女とは、たいへんな違いだった。




あて名のない手紙
宮川ひろ著
メディアパル発行
2007.4.3初版発行







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