みぞれの季節
久しぶりに、湯灌・納棺の仕事が入った。
今日の家は、行き先の略図を手渡された時は気づかなかったのだが、玄関の前まで来てはっと思った。
東京から富山へ戻り最初につき合っていた恋人の家であった。
10年経っていた。瞳の澄んだ娘だった。
コンサートや美術展など一緒によく行った。
父がうるさいからと午後10時には、この家まで度々送ってきたものだった。別れ際に車の中でキスしようとすると、父に会ってくれたら、と言って拒絶した。それからも父に会ってくれと何回か誘われたが、結局会う事なく終わってしまった。
しかし、醜い別れ方ではなかった。
横浜へ嫁いだと風の便りに聞いていた。来ていないかもしれないと思い、意を決して入っていった。
本人は見当たらなかった。ほっとして、湯灌を始めた。
もう相当の数をこなし、誰が見てもプロと思うほど手際よくなっていた。しかし汗だけは、最初の時と同様に、死体に向かって作業を始めた途端に出てくる。
額の汗が落ちそうになつたので、白衣の袖で額を拭こうとした時、いつの問に座っていたのか、額を拭いてくれる女がいた。
澄んだ大きな目一杯に涙を溜めた彼女であつた。作業が終わるまで横に座って、私の額の汗を拭いていた。
退去するとき、彼女の弟らしい喪主が両手をついて丁寧に礼を言った。その後ろに立ったままの彼女の目が、何かいっぱい語りかけているように思えてならなかった。
車に乗ってからも、涙を溜めた驚きの目が脳裏から離れなかった。
あれだけ父に会ってくれと懇願した彼女である。きっと父を愛していたのであろうし、愛されていたのだろう。その父の死の悲しみの中で、その遺体を湯灌する私を見た驚きは、察するに余りある。
しかしその驚きや涙の奥に、何かがあった。
私の横に寄り添うように座つて汗を拭き続けた行為も普通の次元の行為ではない。彼女の夫も親族もみんな見ている中での行為である。.
軽蔑や哀れみや同情など微塵もない。男と女の関係をも超えた、何かを感じた。
私の全存在がありのまま認められたように思えた。そう思うとうれしくなった。この仕事をこのまま続けていけそうな気がした。
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納棺夫日記
著者 青木新門
発行所 文芸春秋
初版 1996年7月
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