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心に残る話


人間の季節


韋駄天夫人/白州正子著平凡社発行より



■人間の季節


 今、私の窓の前には、新緑に煙る山々が続いている。木蓮が咲き、柿も芽をふいた。この夢のような景色も、あと2、3日で一変するであろう。田舎に住んでいると、のんびりとなるかもしれないが、季節には敏感になる。きょうから春、今こそ秋、身にしみてそう感ずる瞬間が年に何度かあるものだ。その時、私は友だちと付合っていて、ぴったり心が通じたそれと似た喜びを感じるのである。


 人間の季節ーーーもしそういうものがあるとすれば、感じるためにはやはり一種ののんびりとした、素直な心を必要とするのではないだろうか。神経質な人は、自分が思い込んでいるほど物事に対して敏感ではない。ちょっと触っても飛び上がるような、ピリピリした心は、外部のものをはねつけるからだ。


 よほど前のことだが、新聞に、こういう記事が出ていた。たしか、2人の少年が、酔っぱらいが電車にひかれそうになったのを、身を賭して救った。すると、数日たってもう1人の、別な少年がトラックが踏切でエンコしているのを見つけて、通行して来る電車へ向けて走って行き、やはりこれも辛うじて衝突を免れた。3人とも表彰されたが、さて、数日たつと周囲の人々から文句が出た。
 たしか投書ものっていたように思う。それによると、こんな行為は少しも感心したことではない。自分の命を粗末にするのは、あいも変わらず戦時中の特攻精神の悪影響だ。断じて表彰なんかする必要はない。ちやほやするから真似するやつも出てくる、うんぬんと大体以上のようなことであった。


 大人たちの反対は猛烈を極めたらしく、それに答えた、というよりも答えさせられた少年の困惑した言葉がのっていた。自分たちは、別に何か考えてやったわけではない、ただその場に居合わせただけのことで、あとは夢中であった。だから思いがけず表彰されたときも、どうしてよいかわからなかったが、それが悪いことだといわれると、よけいどうしてよいか分からない、としどろもどろである。


 無理もない。わずか12、3の遊び盛りの少年たちが、なんで特攻精神なぞ持ち合わせていよう。そんなものを造り上げたのが大人の観念なら、ちやほやしたのも彼らだし、子供にとっては当たり前の行為を、妙にカンぐったのも彼らである。
 1人の人を助けるとは容易ならざることである。自分の命は大切だが、他人の命は違うのか。こころにヒューマニズムのお面をかぶった人々の、あるウサンくささをかぎつける。


 おおぴらに表彰することはない。ただひそかにほめてやればいい。私も子供の親である。どんな形でも、人が救えるような子供を持ったら、きっとうれしいに違いない。たとえ相手がろくでなしの、酔っぱらいであろうとも、人間の命に2つはない、−−−と知ることの方がずっと大切ではないかと思う。


 暖めれば、のびるし、傷つければ、しぼむ。人間も植物のように、それほど強いものではない、ということは私自身常に経験するところである。と、こんな話を思い出したのも、目前の景色が、今朝はあんまり美しいからである。これは直ぐ過ぎ去って行くに違いない。2、3日あるいは4、5日。だが、過ぎ去って行くからこそ、よけいこの瞬間が貴重ではないだろうか。


韋駄天夫人


◇著者 白州正子
◇発行 平凡社
◇初版発行 
     2007年9月




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