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欲が病を生む(抜粋)
亡くなられた柴田練三郎さんとは、1年間いっしょにホテルに缶詰になって小説の挿絵を描いたことがある。その時聞いた話である。
柴練さんの親戚で手相の生命線がやたらと長い長命の相の人がいた。その人は宿命的に長生きを約束されていると喜び、どうせ長生きするなら常に健康でいる必要があるといって、毎日ジョギングをしていたそうだ。そして帰宅すると、うがいを欠かさず行っていたという。
でぼくに言わせれば、どうせ長生きが約束されているのだったら、何もしゃかりきになってジョギングなどしなくてもいいじゃないかと思うのである。生命線が手の平からはみ出して手の甲近くまで延びている人なんて滅多にいないのだから、こんな人はビルから飛び降りたって死んだりしないはずだ。健康に留意することは大事だけれども、ジョギングもほどほどでいいのにと思ったものだ。
ところがこの人はうがいをし過ぎて、その結果、喉頭ガンになって死んでしまった。笑うに笑えない話である。ジョギングすると口の中にいろいろな菌が飛び込むので殺菌のつもりでうがいを習慣づけたが、そのうがいが命取りになっのだから、手相もあてにならないものである。
また手相を信じ過ぎて、さらに命に対して必要以上の欲持ってしまった結果、悲劇の主人公になってしまったというわけだ。
もうひとつこれも柴練さんの親戚の話である。
その人は末期ガンで余命幾ばくもないと医者から宣告されていた。どうせ死ぬなら死ぬ前に四国八十八ヵ所を巡礼して旅先で野たれ死にでもしたい、とかなんとか言って、たった1人で死出の旅にたった。
先ほどの人とは正反対だ。少しでも生きながらえたいという人と、病院で薬づけになって死ぬよりは自ら死を早めようという人である。それにしても柴練さんの親戚には変わった人がおられるようだ。
さてそのガン患者は無事に巡礼の旅を終えて帰ってきたのである。そして病院に行って診てもらった結果、ガン細胞は完全に消えてしまっていたという。このような、現代医学でも解明できない奇跡が現実に起ったのである。
特に後者のような症例は時々あるようだ。死んでもいい。野たれ死にでもするか、みたいな覚悟で生に対する執着を捨て去った結果が起こした奇跡なのかもしれない。こういう話を聞くと、肉体と心はひとつであることがわかる。(以下略)
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