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■日本の民主主義
秋の行楽シーズンになっても、私たち重度の障害があるものは外で楽しむことができない。行楽地へ行こうにも、車椅子で行けるところは少ないし、展覧会などは混雑している。買い物をするにも、並大抵の苦労ではない。
若い頃暮らしたアメリカの町では、車椅子の人が自由に日差しを楽しんでいるのをよく見かけたのに、日本ではそんな風景をあまり見ない。
障害者になってみると、日本の民主主義の欠陥がよく分かる。多数の一般市民(マジョリティー)の利便は達成しても、障害者のようなマイノリティ(少数者)のことは考えてくれない。
弱者は同情を買う存在として位置づけられ、対等の権利を主張する存在ではない。社会保障で生かしてはおくが、大手を振って社会を変革する市民とは認めていない。
その証拠に、バリアーフリーであるべき公共建造物でも、車椅子で入れるところは限られているし、障害者用のトイレも少ない。新幹線に乗っても道路は狭い。駅では人の助けなしには乗り降りもできない設計になっている。前もって電話して頼んでおかなければ利用できない。だからたとえ連休でも、障害者を見かけることは少ない。どこでにでも車椅子で行ける欧米とは大違いだ。
これは障害者のためのインフラが充実していないなどといった末梢的な問題ではない。また鉄道や道路行政の不備といった問題でもない。大げさなようだが、日本の民主主義の根底にある問題なのである。
確かに最大多数の市民の最大幸福というのは、民主主義の根底をなす原理である。でも公共の施設は、マジョリティーのためだけのものになってはいけない。少数の弱者の権利も大切にするのが、成熟した民主主義である。マジョリティーの利便のためでなく、マイノリティーの権利を守る民主主義こそ真の民主主義なのだ。
残念ながら新幹線も、近代的街やビルも、マジョリティーには便利に作ってあっても、マイノリティーには温かくない。これが日本の民主主義の現実である。
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