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「ひろしま生きた自然博物館」代表として活躍する
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| 田中 博さん |
| 83年間の人生を語る! |

田中 博さん
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田中 博(たなか ひろし)さん 83歳
日本藻類学会会員
「ひろしま生きた自然博物館」 代表
広島市社会教育委員
広島市安佐南区山本8丁目31−14
Tel&Fax 082−874−8880
携帯 080−3058−8409
E−mail kaisou-hiroshi@giga.ocn.ne.jp
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「ひろしま生きた自然博物館」代表田中博さん(83歳)は、ライフワークとして子どもたちを対象とした自然観察学習などを行っている。自らの人生を第1の人生、第2の人生、第3の人生に分ける田中さんの人生は、非常に起伏に富み、聞いていていろいろ教えられることが多かった。以下、その順序にしたがって、田中さんの人生を展開してみたい。
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ひろしま生きた自然博物館とは
■瀬戸内海国立公園 宇品島(元宇品)
・広島市街地の鼻先に浮かぶ、外周3キロほどの地続きの島。
・明治期の干拓前には離島だった名残で、「元宇品」「向宇品」とも呼ばれる。
・クスノキやコジイなどからなる常緑広葉樹林は、県内でも有数。
・広島市内では珍しい磯浜が残り、ほぼ全域が瀬戸内海国立公園に属している。
■「ひろしま生きた自然博物館」
「ひろしま生きた自然博物館」は、瀬戸内海国立公園・宇品島(元宇品)を「生きた博物館」とし、ここで子どもたちを対象にした自然観察学習などを展開している団体。
◇団体所在地/広島市西区草津東2−20−7(草津公民館)
◇代表者/田中 博
◇メンバー/元中・高校理科教師など、博物学をライフワーク
としている10数名
◇設立/平成16年
◇主な活動
・講演会
・元宇品自然マップの作成
・観光客への観光資料を提供
・小・中学生へ自然観察学習の場の提供
・子ども会、社会教育活動団体へ自然観察学習の場の提供
◇連絡先 Tel 082-874-8880
◇http://www.hlnm.jp/
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瀬戸内海国立公園 宇品島(元宇品)
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貞子夫人と田中博さん
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貞子夫人と田中博さん |

田中博さんと貞子夫人 |

講演中の田中さん
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著者 田中 博・田中貞子
2010.10.8 発行
1200円+税
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Q 田中さんは、ご自分の人生を「第1の人生」「第2の人生」「第3の人生」と分けていられるそうですね。
田中 第1の人生は60歳まで、第2の人生は60歳〜75歳、第3の人生は76歳以降と考えています。現在、第3の人生が進行中です。この期はゆずる心が大切だなと思っています。
Q 田中さんのお生まれは?
田中 昭和2年5月22日、広島市で生まれました。広島市の小学校・旧制中学を卒業すると熊本の学校に入りました。広島に原爆が投下されたのはその時期で、急遽広島市に帰りました。見渡す限り焼け野原、もちろんわが家もありません。父は被爆して亡くなっていました。そんな父を自分で焼いたんです。
街の中心部の焼け野かわらに、兄といっしょに大工左官をして掘っ立て小屋を建てました。そのときふと思ったのは、『これからはぐっすり眠れる。もう一つは敵に負けて口惜しい』。口惜しい気持ちは、それからも長い間、心に残りましたね。
Q いろいろご苦労されたんですね。
田中 悪いことばかりではありません。20歳のとき結婚したんです。妻は19歳でした。彼女は屋根に上って大工仕事を手伝ってくれたんですよ。
仲人は、当時瀬戸内海汽船の社長だった仁田一也さんの奥さんのお父さんにお願いしました。その息子さんの仁田一郎さん(現瀬戸内海汽船社長)は私の教え子です。現在瀬戸内海汽船で営業をやっている井藤英晴さんとも懇意にしています。
私が現在ライフワークにしている「ひろしま生きた自然博物館」は瀬戸内海汽船やグランドプリンスホテルと深いつながりがあり、縁というものの不思議さを感じています。
Q 学校の先生になられた経緯は?
田中 別に深い意味があって、学校の教師になろうと思ったわけではありません。当時はいかに食うかという時代でしたから、安定した仕事を求めて短大に入り、中学校の教師になったんです。学校では理科を担当しましたが、そのほかに、生徒の生活指導担当を受け持つことになりました。生徒の生活指導は簡単にやれる仕事ではないと思ったので、中央大学の通信教育を受けることにしました。
Q 中央大学の通信教育は難しかったでしょう?
田中 入るのは易しいんですが、出るのが難しいんです。当時の割合は、入学者100人中、卒業できたのは4人くらいでしたから。通信教育のスクリーニングは東京で行われるので、お金に苦労しましたね。夏のボーナスは5年間ずっと、これに当てたんです。妻はよく協力してくれたと今でも感謝しています。
Q それから順調に教頭、校長の道を歩かれたわけですか。
田中 とんでもない。私は負けん気ばかりが強いものですから、人の嫌がるところへは進んでいきました。
50歳近くなって、5年間同和教育の担当をしましたが、これは印象深かったですね。打てば響くで関係者と共感することが多く、とてもいい思い出が残りました。
55歳のとき中学校の教頭になりました。これは苦労しましたね。当時は文部省の体制に反対する者が多く、ほとんどの先生が管理職のやることにはなんでもかんでもすべて反対でした。
教頭は2年間勤めた後、国泰寺中学校校長に転任しました。
Q 国泰寺中学校はいかがでしたか。
田中 国泰寺中学校には3年間勤めたんですが、面白かったですね。なにしろこの学区には平和公園と広島大学(後に東広島へ移転)があるものですから、世界から有名な学者など多くの人が集まってきます。その接待がほんとうに楽しかったですね。
Q 海藻の勉強を始められたのはいつからですか。
田中 宇品中学校に勤めていたときで、35歳でした。小学生だった長男の夏休みの課題研究がきっかけになり、私と妻は磯浜を歩いて海藻を収集しました。それから50数年、私たち2人は海藻のとりこになったんです。学校へはオープンにしませんでしたね。学校の授業とは直接の関係がなかったものですから。
Q 国泰寺中学校を退職されてからは?
田中 国泰寺中学校を定年退職すると、すぐに第2就職として広島市民生局青少年婦人対策課に主任指導員として3年間勤務、また広島家庭裁判所の家事調停委員を8年間勤めました。地元の山本町内会では、社会福祉協議会会長を12年勤めています。
その他には、お寺の責任総代をやりました。主な仕事は寄付集めです。これがたいへんな仕事なんですよ(笑)。47歳から83歳まで36年間続けました。
Q なんとも多忙な第2の人生ですね。海藻の仕事もなさったんでしょう。
田中 もちろんです。毎日毎日が元宇品の海岸での海藻収集と調査研究です。海藻関係の本の出版もしました。非常に難しい仕事だったんですが、北海道大学の吉田忠生教授に指導していただき、ほんとうに助かりました。ありがたかったですね。これが縁になり、これまで収集した海藻標本1万点を北海道大学へ寄贈しました。
田中 78歳になったとき、「犬や猫も生きているが、人間は単に生きているだけでなく仕事をする動物。そのためには現代的な感覚が大切」と思ったんです。そこで今まで収集してきた海藻の総合的・体系的な整理を通じて、新しい感覚を身に着けようと思い広島大学大学院に入りました。
Q 78歳で大学院生ですか。驚きましたねえ。
田中 学生と接してみて驚きました。公民館にいる学生とはまるで違うんです。公民館の学生は年寄りに合わせてくれますが、ここの学生はゴーイングマイウエイ。こちらが合わさなければいけないんです。彼らと比較すると、私は室町時代の人間のように思えました(笑)。しかし、彼らの礼儀作法の知らないのにはびっくりしましたね。
Q 楽しいこともあったでしょう?
田中 論文を書のに苦戦しました。語学力がないので原書による授業も困りましたね。そこで研究室の皆さんや女子学生に応援してもらったんです。お礼にステーキとにぎり寿司をご馳走しましてね(笑)。おかげでいい論文になりました。2年半、朝6時に起きてそれから夜遅くまで、ほんとうによく勉強しました。
Q その他にエポックなことは?
田中 80歳になったとき、広島市社会教育委員になりました。来年の春まで務めることになっていますが、これは面白かったですね。いろいろな人たちと出会い、忌憚のない意見を交わしました。もう一つは、「ひろしま生きた自然博物館」の仕事を続けることです。
Q 「ひろしま生きた自然博物館」の仕事は、これまでライフワークとして取り組まれてきた海藻収集の延長戦みたいなものですね。
田中 そうですね。今までの蓄積を実らせる場にしたいと思っています。現在、子どもたちの理科離れが進んでいますが、理科は日本の将来に非常に重要です。子どもたちが理科の好きな子に戻ってほしいと願いながら、自然観察学習活動を進めています。
私たちメンバーには、海藻、野鳥、きのこなどいろいろなジャンルの専門家がいて、みんなでワイワイやっています。子どもたちが1人でも多く参加して欲しいですね。
Q お話しを聞いていて、田中さんの人脈のすごさに驚いています。人脈づくりの秘訣を教えてくださいませんか。
田中 1に人間を大切にすること、2に自らの教養を高めること、と私は思っています。この2つは、生涯努力しなければいけないと自分に言い聞かせています。
Q 今日はほんとうにいいお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
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