
梶ヶ野弘美さん
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梶ヶ野弘美(かじがの ひろみ)さん 71歳
忠臣蔵講師
文部科学省公認
財団法人 中央義士会
広島市西区鈴が峰町17−12−202
Tel&Fax 082−501−0430
合同印刷機材株式会社 取締役総務部長
ジー・エル・インベントリー株式会社 代表取締役
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梶ヶ野弘美さんは、平成16年、財団法人中央義士会の第1回忠臣蔵講師検定試験に合格してから、忠臣蔵講師として年間約20回、公民館や企業などで講演している。ちなみに梶ヶ野さんは現在2つの会社で役員をしているため、講演活動は土・日・祭日に行っているとのことだった。忠臣蔵講師検定を受けた経緯や忠臣蔵の今日的な意義などについて伺った。
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Q 本題に入る前に、梶ヶ野さんのルーツからお話いただけませんか。
梶ヶ野 鹿児島出身です。高校まで地元で過し関西方面の大学に入りました。大学を卒業すると、住友ゴム工業に入社、全国各地を転々とした後、広島支店を最後に退職しました。昭和53年、39歳のときのことでした。
Q 39歳で退職とは、たいへんな決断でしたね。
梶ヶ野 子どもも3人いるし、いろいろ悩みました。退職後、関西方面の食品販売会社から声がかかったので、広島に妻子を残し単身赴任しました。
Q お仕事は何をなさっていたのですか。
梶ヶ野 総務・経理が専門です。就職した会社はスーパーへ食品を卸す会社でしたが、だんだんと仕事が下り坂になってきたので、6年後退職し広島に帰りました。
Q たいへんでしたね。
梶ヶ野 それから5年間、広島の印刷会社に務めた後、合同印刷機材株式会社に入り、現在まで21年間働かせてもらっています。オーナーの社長との出会いが良かったんですね。子会社のジー・エル・インベントリー株式会社が設立されたときには、その代表取締役まで任せていただきました。
Q 梶ヶ野さんのご趣味は?
梶ヶ野 囲碁・将棋・短歌・茶道・演歌・クラシック、その他いろいろなことに手を出しています。そんなことから現在、山陽道を歩く会や演歌の会など23のグループに所属しています。
Q 忠臣蔵講師は、どんなことがご縁で始められたんですか。
梶ヶ野 いずれ定年がくるので、それから何をしたらよいか考えていたとき、広島県余暇プランナー協会の山崎勇三さんに6年前お会いしました。その縁で余暇生活開発士の試験を受け合格しました。それがきっかけになりまして、今度は忠臣蔵講師検定を受け資格を取ったんです。
Q 検定試験は難しかったですか。
梶ヶ野 忠臣蔵講師検定は、100年の伝統を持つ「財団法人中央義士会」が主催しています。私が受けた検定試験は第1回でした。それだけに非常に難しく、半年間、ほとんど毎日のように夜2時ごろまで勉強しました。おかげさまで一発で合格しました。
Q 現在、忠臣蔵の講師活動はどのくらいなさっていますか。
梶ヶ野 年間約20回、公民館や企業などで講演しています。現在2つの会社で仕事をしているので、講演活動は土・日・祭日にやっています。
Q 講演内容については、いろいろ工夫されていることでしよう。
梶ヶ野 現在、13通りの話ができます。講演内容を充実するため、関連するお寺などに行って写真をとったり事実関係を調べたりしています。初めて話す内容については、中央義士会の了解をとっています。
Q 忠臣蔵については、たくさんの小説も出ていますね。
梶ヶ野 中央義士会は、政治・宗教・思想に左右されずに史実を追求する立場をとっています。ご承知のように、元禄赤穂事件が起きたのは、絢爛たる経済・文化・政治が行われていた元禄時代です。この時代的な背景を正確に把握しない限り、忠臣蔵を正確に語ることはできないと思います
Q 忠臣蔵の今日的意義というと、とんなことなんでしうか。
梶ヶ野 非常に困難な環境にあり多くの脱落者を出しながら、主義主張の異なる47人の集団をまとめ、本懐を遂げた大石内蔵助の人間性・能力については、今も価値を失っていません。その戦略・戦術は企業経営だけでなく、現在の困難な時代を生きていくうえの指針にもなると思います。
Q とてもためになるお話を聞かせていただきありがとうございました。
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