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家族4人ヨットで太平洋を一周
2000年6月11日〜2003年8月17日
「山下健一さん一家」のその後



山下健一さん(やましたけんいち) 
1963年生まれ


冒険Cafe オリハルコン 代表


〒739−0651
広島県大竹市玖波1丁目8−2−403
TEL 090−7587−0892
e−mail oric-halcum-jod35@ezweb.ne.jp


→3年2カ月の記録(あらすじ)



「僕にとって冒険とは、今の自分から一歩、踏み出す勇気」と語る山下健一さんは、11年半前、3年2カ月をかけて、奥さんの優子さん、長女の優美さん、長男の碧航(あおゆき)くんとともに太平洋を一周した。当時、優美さんは9歳〜12歳、碧航くんは5歳〜8歳だったのだから驚異的である。もちろん、周囲から無謀だという批判もあったが、「子どもたちも希望している。この経験は必ず将来プラスになる」などの理由からあえて決行したという。航海中のことや、帰国後のこと、将来の夢などについて伺った。 (航海のあらすじ→クリック



太平洋一周を終え日本に帰ってからのこと


  「太平洋は学校だ」はなかなか面白い本でした。以前に読んだことがありましたが、今回は暗記するほど綿密に読みました。


山下  
ありがとうございました。2006年4月、新風舎から発行してもらいました。おかげさまでたくさんの方々が読んでくださって、第25回新風舎出版賞ノンフィクション部門最優秀賞をいただきました。


  嵐や流氷、熊・鯨・イルカ・シーライオン・マンタなどとの出遭い、各地でいろいろな人との温かい交流・・・etc。すごく密度の濃い旅てしたね。奥さんや子どもさんが悲鳴をあげるほどの嵐があったかと思うと、見渡すかぎり波、波、波という単調な航海。こんな中を着実に成長していく、2人の子どもさんの姿をみて感動しました。


山下  
日本で点数だけを目的にする画一的な教育を受けるより、経済社会の外側の広い世界、地球を家族とともに見て感じる方が、より価値があると思ったんです。


  日本に帰ってからの山下さんのご活動は?


山下  
平均して月に1回の講演活動をしたり、希望者にヨットに乗ってもらえる環境を整えたりしています。そのために、比較的休みの取りやすい夜勤の施設警備員をやっています。


  それはきついですね。


山下  
講演といっても話の専門家ではありませんから、海・山以上に真剣勝負です。夜勤明けの眠いままだと申し訳けないので、休みを取って臨んでいます。


  子どもさんたちは、その後、大きくなられたことでしょう。


山下  
長女の優美は五日市高校を経て、北九州市立大学外国語学部の1年生です。3年間のブランクを取り戻すのが大変だったようです。それを乗り越えて希望校に入ったのですから、褒めてやりたいと思っています。


  長男の碧航くんは?


山下  
来年は高校1年生です。彼は全日本ボクシング大会の、U−15(アンダーフィフティーン)50kg級で、お陰さまで今年1位になりました(昨年は2位)。ですから、来年はボクシング特待生になると思います。


  それはすごいですね。どこで練習されたんですか。


山下  
大竹ボクシングクラブに入り、ご指導いただきました。息子の希望で、ジムが校内にある小方中学校に選択入学するため、長年住み慣れた山村から町へ、家族ぐるみ引越ししたんです。


  驚きましたねえ。


山下  
偏差値受験戦争に子供を巻き込むより、武道教育の方がよいと考えたんです。
 航海中は自然の中で息子と厳しい練習をし、寄港先の街では各国の空手やキックのジムを訪ね武道交流をしました。自分の力をはるかに超えているものに向き合うという点で、自然と武道は共通点を持っていますね。
 試合の怖さや大変さは、出た本人しかわかりません。出てしまえば助けてやることはできません。だから心を鬼にして鍛えました。息子が厳しい試合に出続けるのですから、私も格闘空手に再入門、42歳まで現役で試合に出ました。


  太平洋航海の教育効果は、十二分にありましたね。


山下  
航海に出る前は反対も多かったですから、もし、子どもたちが3年間のブランクを取り戻せずくじけていたら、それ見たことかと言われたことでしょう。子どもたちに感謝です(笑)。
 それ以上に感謝しなければいけないのは妻です。オリハルコンを買うときには、一緒にバイトをして資金作りに協力してくれましたし、航海のときには食事の面倒や子どもたちの健康・勉強管理をしてくれました。日本に帰ってからも、かけがえのない存在になっています。


オリハルコンを購入するまで


  山下さんのルーツは?


山下  
1963年9月、福岡で生まれました。


  ヨットに興味を持たれたのはいつですか。


山下  9才の頃です、初めて憧れのヨットの中を見せてもらったときは感激しました。その船のオーナーから、価格は750万円と聞かされたときは、肩の力が落ちましたが、その人は、あきらめなければ必ず手に入ると励ましてくださいました。


  ロッククライミングを始められたのはいつですか。


山下  13歳のときです。福岡で高校2年になったとき、一人前のクライマーになりたいと思い、広島の三倉岳に新幹線で通いました。18歳のとき単独渡米、当時世界一の絶壁といわれたヨセミテのハーフドーム北西壁に挑戦し、日本人として初めての単独登はんを果たしました。


  奥さんとの出会いは?


山下  19歳の頃です。2人で全長21フィートの小型ヨットを購入し、ほとんどお金を持たずバイトをしながら、住むところ探しの旅をしました。


  素晴らしい奥さんを見つけましたね(笑)。


山下  
そんなある日、山の関係の本に「リゾートブームのため山が荒れてきている」と書かれているのを見ました。私にとって広島の三倉岳はクライミングの故郷です。三倉岳のことが心配になり、広島に帰ることにしました。


  それからの生活は?


山下  
三倉岳のことを調べているうちに、役所の人と馴染みができ、県立自然公園三倉岳休憩所の管理人を務めることになりました。
 最初の3年間は、電気・電話・給料なしという生活で、フリークライミングスクールを開いたり季節労働をしたりして凌ぎました。そのうち村の人たちが陳情してくださいまして、月10万円の委託管理費がもらえるようになり、食べる心配はなくなりました。管理人はあしかけ12年務めました。


  その間、太平洋航海の夢を持ち続けられたんですね。


山下  
もちろんです。ようやく船を買う資金が200万円貯まると、あちらこちらのヨットハーバーに立ち寄っては、欲しいタイプのヨットを探しました。
 中古のヨットを購入したのは1998年7月。名前はオリハルコンと名づけました。資金繰りには苦労しましたね。自分で作ったドームハウスと敷地を売却しました。それも、私の支援者の1人が好意で購入してくださったからできたんです。


  いざ航海ということになると、子どもさんの学校のことなど、いろいろ大変だったでしょう。


山下  
学校では気持ちよく送り出してくださいました。その他たくさんの人たちのご支援もあって、2000年6月11日、広島県廿日市港を出港しました。


これから実現したいこと


  これからの夢は?


山下  
当面は、子どもたちの成長を見届けることです。まだ、2人とも学生ですから、もうひとふん張りです。


  堅実な考え方ですね。そのほか、どんな夢を実現したいと思っていらっしゃいますか。


山下  
太平洋を航海したとき、日本には素晴らしい財産があるとつくづく感じました。波・風が穏やで周辺の島並みの美しい瀬戸内海です。
 瀬戸内海はヨットにとって絶好の環境です。ところが夏休みが終わると、見かけるのは釣り客くらいで海辺は閑散としてしまいます。
 カナダやニュージーランドなどに比較すると、日本のヨットライフはすごく遅れています。ヨットは素晴らしいスポーツです。その普及をはかり、瀬戸内海を活性化したいと思っています。


  壮大な夢ですね。今、どんなことを着手されていますか。


山下  
ヨットは高価なのでオリハルコンに乗って楽しんでもらおうと、「冒険Cafe オリハルコン」を設立、会員を募集することにしました。皆さんのご要望もあり順調に取り運んでいたのですが、残念なことにオリハルコンのエンジンが故障してしまいました。修繕費が100万円かかるので、とりあえず活動を休止しています。


  それは残念ですね。


山下  
実はもう1つ夢があるんです。「OPEN 5.70」といういヨットへの挑戦です。極限の軽量化と安定性を実現した素晴らしいヨットですが、まだ日本では一部の専門家にしか知られていません。
 このヨットを広島湾に導入し、ヨットの醍醐味を皆さんに味わってもらいたいと考えているところです。価格は300万円ですので、オリハルコンの売却など、いろいろ検討しています。夢はあきらめなければ必ず実現すると思っています。


  堅実な目標と壮大な目標、素晴らしい生き方ですね。今後のご活躍を心から祈っています。このたびは、とても楽しいお話を聞かせていただきありがとうございました。










出港前のオリハルコン
家族揃って
2000年5月

出港前のオリハルコン
碧航くん・優美さん
2000年5月

出港前のオリハルコン
家族揃って
2000年5月

オリハルコン/仙台沖にて
2000年6月


グレーシャーベイ
2000年8月

ランゲルにて
2000年10月

広島県廿日市港に帰ってきた
オリハルコン
2003年8月




2009.12.9/戸村彰義
    


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