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木で玩具づくり40年
工房 木の郷(きのくに) 丸山 正吉さん

山本恵由美の明窓園シリーズ第9回



 丸山悦子さん      丸山正吉さん      山本恵由美さん

丸山 正吉さん(まるやま しょうきち)
丸山 悦子さん(まるやま えつこ)


工房 木の郷(きのくに)
〒735-0057
広島県安芸郡府中町石井誠2−17−33
Tel&Fax 082-283-7783

(質問をする人)
山本 恵由美さん(やまもと え
ゆみ)



環境と人形のコーディネーター
〒730-0002
広島市中区白島中町12−4
Tel&Fax 082-221-2341


丸山正吉さん(77歳)が木製の玩具を作り始めてから、はや40年。宮崎市で10年、広島市で30年の歳月が流れた。文字どおり喜びも苦しみも幾年月である。丸山さんの木製玩具に対する思いは深い。広島市郊外の閑静な住宅街にある工房「木の郷」にこもり、来る日も来る日も玩具づくりに打ち込む。こんな丸山さんを奥さんの悦子さんが献身的に支えてきた。お2人のこれまでの足あとなどについて伺った。

作品の出来ばえを見る丸山さん こんなに小さなかんなで!



山本  木製玩具の超ベテラン丸山正吉さんは、独創的で楽しい作品を次々と製作されています。明窓園ギャラリーには昨年の秋出品いただきましたが、たいへんな好評でした。今日は木製玩具との出会いやその魅力などについてお伺いしたいと存じます。まず最初に、丸山さんのルーツからお聞かせください。


丸山  東京生まれの大牟田市育ちです。私が小学校のとき父が病死したので、中学を出ると大工の修業に出ました。3年後、検定試験があり屋根の上で作業をしましたが、高所恐怖症の私は手足が震えて仕事になりませんでした。それを見て、棟梁が「地べたにも大工の仕事はある」と言いました。この言葉は救いになりましたね。


山本  家を建てる大工仕事は断念されたんですね。その後はどうされましたか。
 

丸山  仕事を求めて町を歩いていると、たまたま大工を募集している木製バット製造工場があったので就職しました。プロ野球や高校野球の木製バットを製作していましたが、給料の遅配が常態という貧乏会社で、3年後には金属製バットの出現により倒産してしまいました。


山本  それはついていなかったですね。


丸山  その後、母に資金を出してもらい、宮崎市に「民芸の店アオイ」を開きました。昭和42年のことです。木製玩具のほか、ミシン用の丸イスやプールの木製のウキなどを作りました。この頃、家内と結婚ましたが、彼女にはずいぶん助けてもらいました。


悦子夫人  当時、宮崎には新婚さんがたくさんいらっしゃっていたので、木製品が結構売れました。ところが、昭和53年、手形の連鎖倒産に遭って倒産し、店をたたみました。


丸山  経営の知識がなかったので仕方ありません。それから広島市に来て、しばらく会社勤めをした後、昭和54年、現在の「工房 木の郷」を開店しました。こんな閑静地で30年もの間、木工工場を操業することができたのは、近所の人たちのご好意によるもので感謝しています。



山本  それにしてもいろいろな工具がありますね。5センチくらいの小さなカンナにはほんとうにびっくりしました。


丸山  カンナだけでも200丁ほどあります。世界に1個しかないカンナたちです。


山本  作品づくりには、なにかコツのようなものがあるのでしょうか。


丸山  コツというほどのものではありませんが、私はお客さまからアイディアをいただき、それに自分のプラスアルファを加えて作品をつくっています。


山本  核心をついているお答えですね。奥さんもお手伝いされているとか・・・。


悦子夫人  作品の磨きは、私の担当ということになっています。作品を磨いているとアカギレができますが、それでも続けてきたのは、この仕事が好きだったということですね。


山本  丸山さんの作品には、とても温かいムードと遊び心がありますね。


丸山  遊び心といえば、面白いエピソードがあります。広島市内のデパートで展示販売をしていた頃のことでした。私の作った木製玩具はさっぱり売れないのに、隣の木製玩具はよく売れるんです。その理由がわかりませんでした。
 そこで隣の玩具の作者である大学生をわが家に招き、なぜ自分の作品が売れないのか尋ねました。すると彼は
「まじめ過ぎてちっとも面白くない。遊び心が欠けている」というのです。
「遊び心とはふざけている。作品作りは真剣勝負だ」と議論をふっかけましたが、議論しているうちに彼の言い分が正しいと思うようになりました。自己満足するだけの作品ではなく、人に喜んでいただける作品を作らなくてはいけないと思いました。このときが作品の転機になりました。


山本 仕事をしていて一番たいへんと思うときは、どんなときですか。


丸山  値段をつけるときです。安ければよいというものではないし、さりとて高ければよいというものでもありません。いったん高くつけると、下げるのが難しいですね。
 当店では、サービスとして修理は一切無料にしています。


山本  木の玩具づくりには、いろいろな楽しみがあるのでしょうね。


丸山  「木で遊んで、木でくつろぐ」を作品づくりの原点にしています。木はほんとうに楽しいですね。木を大切にしたいという気持ちから、屑木はできるだけ出さないように工夫しています。それでも出てくる小さな屑木は、積み木やパズルの材料にしています。
 年金は工場の家賃や電気代で消えますが、木製玩具の製作にはなにものにも代え難い楽しみがあります。儲からなくても納得できる作品が作りたいですね。


悦子夫人  主人には図面がありません。図面はすべて頭の中です。ですから、新しいものにかかり始めると、そのことに夢中になり口をきかなくなるんです。


山本  それはすごいですね。


丸山  今日の取材はとても楽しかったです。最近、作業場に1人でこもって一言も口をきかない日が続いていたので、たいへんな息抜きになりました(笑)。
 

山本  それは良かったですね(笑)。本日はとても楽しいお話を聞かせていただきほんとうに有難うございました。


<お知らせ>
下記展示即売会に、丸山正吉さんが出展されます。(山本恵由美)
・明窓園「お雛さまと春のクラフト展」展示即売会
・会期  平成21年2月20日(金)〜2月26日(木) 10時〜17時
・場所  呉市本通6丁目2番4号5階   明窓園ギャラリー(村田内科クリニック上)



丸山正吉さんのプロフィール
昭和7年 東京生まれ
福岡県大牟田市で育つ。小学生のとき、父死亡。
中学卒業後、3年間大工修業。
木製の野球バット製造工場に就職。3年後、同工場が倒産。
昭和42年、宮崎市に「民芸の店アオイ」を開店し、木製の民芸品を製造販売。
10年後手形連鎖倒産。
昭和54年、広島市に「工房 木の郷」を開き、木製玩具の製造販売を始め現在に至る。



2009.1.7/戸村彰義

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