| ホンジュラス共和国で家づくり |
建築デザイナー
木村哲也さん
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木村哲也(32歳)さんは、今年の7月に地元東広島市で建築設計事務所を立ち上げたばかりの青年実業家である。この業界の厳しい現実を知りながら建築家を志望したというだけに、これまでの彼の経歴は人並みではない。中でも青年海外協力隊員(JICA:ジャイカ)として2年間取り組んだホンジュラス共和国での家づくりには、思わず引き込まれてしまった。
彼のこだわりは『人の役に立ちたい』。持ち前の行動力でそれを実践している彼の生き様に、心から拍手を送りたい。
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Q バブルがはじけてから建築設計事務所の仕事は、たいへん厳しくなったと聞いています。それにもかかわらず、この業界に入られた動機についてお話しください。
木村 私が大学を卒業する頃、バブルがはじけました。それでも建築家の仕事を志したのは、子どもの頃からこの仕事に憧れ好感をもっていたからです。
Q どうして好きになられたんですか。
木村 田舎の実家の近くにはたくさんの廃屋があり、私たち子ども数人は、その中に入り込んで秘密基地を作りました。私がそのリーダーでした。後片付けをしないで帰り、家主から叱られたこともあります。こんな遊びを通じて物作り空間作りを知り、建築家の仕事に魅力を感じるようになりました。
もうひとつ建築家を志した理由に、プロになるだけの能力はありませんでしたが、絵を描いたり写真を撮ったりすることが好きだったこともあげられます。
Q 大学での専攻科目は?
木村 建築デザインではなく、都市計画(都市デザイン)です。合格した地元の大学は建築デザインでしたが、親許から離れ独立したいという気持ちと大きな枠組みでデザインしたいという希望があったので、九州の大学で都市計画を専攻しました。
Q 大学卒業後は何をされましたか。
木村 在学中は建築設計事務所でアルバイトをしていたので、卒業して広島に帰ると建設会社へ設計部希望で入社しました。
社長や上司に、3年間は現場で建築のノウハウを学んだ方が将来設計に役立つとアドバイスされ、現場監督として働くことにしましたが、毎日帰るのが夜1時・2時になり休みも月に1〜2日しかないので、1ヶ月で音をあげ辞めようと思いました。
そのとき、両親に『辞めるのは、自分が携わっている建物を完成させてからにしなさい。3年も続かないようでは、どこに行っても通用しない』と叱咤激励され踏み止まりました。学生気分から抜け出ていなかったんですね。その後、大きな現場の責任者に抜擢されたりして目標の3年間を全うしました。当時の経験は、今たいへん役立っており上司や両親に感謝しています。
Q それからどうなさいましたか。
| ホンジュラス共和国で家づくり |

これだけ持って・・・・ |

集落の玄関口 |

こんな家に住んでいます |

日干し煉瓦づくり |

みんな総出で |

完成を待つ家 |

落成式
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| ライフセーバー活動 |
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木村 3年も休みなく働いた。転職するとまとまった休みが取り難い。こんなことを考えていると、念願のオーストラリアに行けるのは今しかないと思うようになりました。
いつの日か、海難人命救助の本場・オーストラリアに行き、 学生時代に打ち込んだサーフィンの経験を生かしたライフセーバー活動をしたいと思っていたんです。
そこで1年間のビザを取得し海を渡ると、まずライフセーバーライセンス(ブロンズメダリオン)の資格を取り、ビーチでライフセーバーとして8ヶ月働きました。
冬にはライフセーバーの仕事がないので、残りの4ヶ月はバイクでオーストラリアを1人で一周(23000キロ)しました。その間、今後のことを考えた結果、やはり建築の仕事しかないと思いました。
Q 帰国後は建築デザインの仕事をされましたか。
木村 広島市内の建築設計事務所で4年間修業しました。最初の2年間は大手の設計事務所に入って建築設計の勉強をし、後半の2年間は個人の設計事務所で経営のノウハウを学びました。この4年間に得た知識・技術と人脈はたいへん大きかったと思っています。
Q それから独立されたんですか。
木村 独立する前に、現在、家屋を必要としている人たちの住む国に行き、建築技術を学ぶことができた恩返しをしたいと思いました。そこでJICAに応募したところ合格。メキシコの近くにあるホンジュラス共和国へ建築指導員として派遣されることになったんです。
ところが周囲の人に、「なぜ発展途上国に行くのか。建築の先進国、ヨーロッパ諸国に行きデザインの勉強してきたらどうか」と反対されました。
Q それは当然ですね。変わった人だと思われたことでしょう(笑)。
木村 ヨーロッパに行って最新のデザインをするスペシャリストになるのは、自分の道ではないと思ったんです。『人のために役立つ。人に喜んでもらえる。そこに住む人たちが幸せになる。こんな建築を目指したい』。ホンジュラス共和国には、こんな仕事があると思いました。
Q ホンジュラス共和国は、どんな国でしたか。
木村 ホンジュラス共和国は中米で1、2を争う貧乏国と聞いていましたが、想像を絶していましたね。
車を降りて1時間くらい歩き辿り着いた集落は、電気も飲料水もないところでした。小さな家に大家族が住み、サソリや害虫も共生していました。そんな集落で共に寝泊まりし、2年間で130軒もの家を建てました。
Q スタッフの数は?
木村 建築の指導をホンジュラス共和国の3人と私の4人があたり、現地の住民も総出で一所懸命働きました。山の開拓をしたり日干し煉瓦を作ったり、いろいろなことをしました。
彼らには思いやりも物を大切にする心もあります。私は日本人が忘れかけている当たり前のことを教わりました。
彼らは出来上がると泣いて喜びました。落成式の様子は生涯心に残ることでしょう。ほんとうに来てよかったと思いました。
Q その間の収入は?
木村 家を建てる資金は、ドイツや日本など先進国から出ていますが、人件費は出ていません。基本はボランティアです。私はJICAから月に4万円もらっていました。収入を考えていたら、とてもこんなことは出来ません(笑)。
Q 帰国後の活動は?
木村 ホンジュラス共和国の経験や現状を伝えることが私に出来る国際協力と考え、小学校から大学まで7校周り講演しました。皆さんは熱心に聴いて下さいます。(ご希望があれば、どこへでも行きます。メールをお待ちしています)
Q 建築の仕事の方は?
木村 帰国して3ヶ月後に、建築設計事務所「木村哲也建築デザインオフィス」を立ち上げました。仕事内容は住宅・店舗の設計・リフォームです。立ち上げてから3ヶ月になりますが、有り難いことにいくつかの受注を頂きました。
Q 営業地域は広島が中心ですか。
木村 今はインターネットの時代です。全国を対象に仕事を展開しています。ホームページも現在作成中です。
Q これからの抱負は?
木村 やはり、お客様に心から喜んで頂ける設計をすることです。見た目がオシャレなことも大事ですが、一番大事なことは、お客様の生活スタイルや家族構成に合った設計です。私が設計した家に住む人全員が幸せになることを目指して、皆さんと一緒に家作りをしたいと念願しています。
Q 今日は素晴らしいお話を聞かせていただき感動しました、ご成功を心から祈っています。
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木村哲也さんの略歴
| 1975年、広島県東広島市河内町で生まれる。 |
| 河内中学校、広島市立基町高校を卒業。 |
| 大学では都市計画(都市デザイン)を専攻。 |
| 建設会社に3年間勤める。 |
| オーストラリアシドニーで、1年間ライフセーバー活動。 |
| 広島市内の設計事務所で4年間修業する(大手事務所2年間、個人事務所2年間)。 |
| 青年海外協力隊員(JICA)として、ホンジュラス共和国で2年間建築指導。 |
| 2008年4月帰国。7月、東広島市西条町で建築設計事務所を立ち上げる。 |
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| 2008.10.6 戸村彰義 |
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