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瀬戸内海の環境改善に生涯をかける
瀬戸内海景観写真家
有限会社ウイット 脇山 功さん




脇山 功(わきやまいさお)さん
54歳


瀬戸内海景観写真の貸出しと撮影
有限会社 ウイット
〒730-0825 
広島市中区光南2−2−6

tel 082-542-5380
fax 082-542-5381
e-mail  wit@proof.ocn.ne.jp


→瀬戸内海海辺の景観



有限会社 ウイット (3F)


瀬戸内海の人の住んでいる島はほとんど行っているという脇山功さんは、瀬戸内海景観写真家で、会社経営の傍ら、瀬戸内海の環境維持改善に情熱を燃やしている。その模様を取材するため、彼の活動の拠点、有限会社ウイットに伺った。


瀬戸内海景観写真家 脇山功
会社の前で脇山功さん
せとうち風光
自費出版した「せとうち風光」
瀬戸内海景観写真
写真がぎっしり詰まったファイル



■有限会社ウイットは、平和公園から車で5分くらいのところにあるビルの3階にあった。
 事務所に入ると、コンピューター室、作業室、事務室の3部屋に分かれており、事務室の一角にある書架の膨大なファイルが目を引いた。
 一見研究者タイプの脇山功さんは、書架から一冊のファイルを取り出してきた。その中には、おびただしい数のフィルムが入っていた。


「これまで撮り続けてきた瀬戸内海周辺の写真で、地域別に分けて収録しています。自然のあるがままの写真、自然環境が破壊された写真、自然が元の姿を再び取り戻しつつある写真をターゲットにして、撮影してきました。その狙いは瀬戸内海の環境維持改善です」
 ファイルの数はざっと120冊、1冊のなかに収納されている写真は平均して200枚とすると、写真の総数は24000枚。なんとも膨大な資料である。


 彼は、カラフルでセンスのいい数冊の雑誌を机に並べた。題名は『瀬戸内海の自然・人文景観の情報誌/せとうち風光』である。各号ごとに、『浅い海』とか『鳥の視点』、『海と人の20世紀』、『環(めぐ)るいのち』といった特集が組まれていた。カラー版の20ページくらいの豪華な冊子である。執筆者もそうそうたる人たちだった。
「この情報誌は、全国の志を同じくする人の協力を得て1998年に発刊、2003年まで11回発行しましたが、資金のやりくりがつかなくなり今は休刊しています。1冊だけ、教育機関から多数注文がきましたが、その他はあまり売れませんでした。目的を持った写真はなかなか売れません」と残念そうに言った。


 彼が経営する『有限会社ウイット』の事業内容は、瀬戸内海を中心とする景観写真の貸し出しと撮影がメインで、その他に風景写真や瀬戸内海に関する講演の依頼に応えている。
「会社は20年前設立しました。多いときには6人近いスタッフがいたこともありましたが、デジタルカメラや携帯カメラの普及のため写真の需要が変わり、今では私を含めて2人になってしまいました。現在、瀬戸内海周辺の機微をとらえた写真に特化し、航空写真などプロでなければ撮れない写真を手がけています」 


■1953年、彼は瀬戸内海のほぼ中央部に位置する愛媛県弓削島町豊島に生まれた。豊島は周囲14キロの小島で、明治初めに人が入り採石やタイ網漁で賑わった。
「両親は戦争の気配が濃くなった頃、島へ入植しました。半農半漁の生活で、麦や除虫菊などを植えて生活の糧にしていました。私は8人兄弟の下から2人目で、海を遊び相手に育ちました。当時の海は、泳ぐと海草が身体にからみ、岩と岩との間には蛸(たこ)がかくれているという自然豊かな海でした」と回顧する。この当時の海との生活が、現在の創作活動の原点になっているという。



瀬戸内海景観写真
海食洞よりの風景(広島県 宮島)
瀬戸内海景観写真
ゴミの漂流物 
(愛媛県松山市沖の無人島)
瀬戸内海景観写真
白砂青松 (広島県)
→瀬戸内海海辺の景観

  彼が14歳になった頃、一家は豊島から弓削島に移住した。
「母親がミカン栽培を営み、父は因島の造船所に勤めましたが、ミカンの豊作貧乏が続き、ついに豊島の家を引き払ったんです」


 中学校を出た彼は京都で集団就職、定時制高校に入った。高校を卒業後、広島市の会社に務め、1987年、フリーカメラマンとして独立した。その翌年には、有限会社ウイットを設立、会社の仕事の傍ら、瀬戸内海の自然・人文の情報誌『せとうち風光』を発行したり、新聞やテレビ等マスコミを通じて瀬戸内海の環境改善を訴えたりしてきた。
「私が生まれたとき、豊島には100人近い人たちが住んでいましたが、今では無人島になっています。今でも記憶に残っている豊かで美しい豊島が、瀬戸内海の環境を維持したいというエネルギーになっています」と熱い胸のうちを語った。


■その後仕事の合間をみて、昔のままの自然が残っている海辺や、環境破壊が進んでいる海岸を撮り続けているうちに、不思議なことに気づいた。江戸時代の石組みは丈夫で残っているところが多いのに、昭和以降のものは壊れているケースが多いのである。
「周囲の状況をよく調べずに、ムリな造成工事が行われているのではないでしょうか。20年前、初めて航空写真を撮ったとき、瀬戸内海の沿岸が埋め立てなどにより、ひどく傷ついているのを見てビックリしました。ほんとうに残念な気持ちになりました」


 周囲の環境をあまり気にしないで行った工事には、次のように問題があると指摘する。
「ヨーロッパなどの先進国では、古い環境と現在の環境との調和が図られています。特にスイスなんかは観光客の推移が国の命運を決めるので、環境問題にはすごく真剣です。アジア各国と比較しても、日本の取り組みは遅れているように思われます。
 例えば、橋を造る場合には、周囲の山との調和を図っていかなければ、せっかくの景観が死んでしまいます。いろいろな角度から、総合的・長期的に分析しなければならないのではないでしょうか」と話す彼には、静かな口調のなかに熱い気持ちが滲み出ていた。 
  
 将来の課題はと訊くと、
「次の世代の人たちに、少しでもいい環境の瀬戸内海を残すことです。しかし、環境問題と会社経営を両立させることは難しいですね。霞を食って生きていくわけにもいかないので、商売の方も努力してはいますが、苦戦しています」と笑った。


■脇山功さんの略歴
1953年 瀬戸内海のほぼ中央部、愛媛県弓削島町豊島に生まれる。
1987年 広島市内の印刷会社を退職後、フリーカメラマンとして独立。
1988年 有限会社ウイットを設立
1988年〜1995年 国内外多数撮影(ストック用)
1998年〜2003年 瀬戸内海の自然・人文の情報誌「せとうち風光」を発行
1999年 愛媛新聞に写真とエッセイ連載
2000年 灯台の撮影に対して、海上保安庁第六管本部より感謝状が贈られる。
       NHK全国放送「潮流を写す鳥となれ」2時間番組で紹介される。
2001年 NHK松山放送局瀬戸内海の番組制作に携わる。
2003年 広島市江波山気象館において、「滞流圏の空気と水」写真展
2004年 魚眼カメラ完成(製作期間4年)
2005年 中国新聞にエッセイ連載
2007.10.31(戸村彰義)


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