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■元宇品公園にて 金山さんが中心になって製作した元宇品公園の植物・生物の案内板や道案内ポールを見学するため、彼と2人で公園に出かけた。 元宇品公園は、広島市の中心街から車で15分くらいのところにあり、広葉樹の原生林が碧い海に囲まれた美しい公園で、瀬戸内海国立公園に指定されている。 彼は、民芸品風に作られた案内板を指さしながら次のように説明した。 「広島市南区政振興課と共同作業で、昨年度は道案内ポールを21本作り、本年度は写真入の案内板を2つ作りました。1つは公園内の主な植物を表示した案内板で、もう1つは公園内の生きものを表示した案内板です。宇品小学校、宇品東小学校、宇品中学校、広島県立工業高校の生徒や広島市などとジョイント組んで製作しました」 続いて、鬱蒼と茂っている木々について説明してもらった。 「これはシンジュ(神の木)で、左側はオスの木、右側はメスの木です。オスの木は花が咲くだけで、実をつけるのはメスの木です」 見上げると、メスの木にはたくさんの実がついていた。ちなみに桜の木や梅ノ木は両性ということだった。 シンジュにツタのような植物が巻きついているので、枯れないかと尋ねると、 「これはテイカカズラといって、根が土の中にあるので、神の木に害を及ぼしません」と笑った。 海岸に下りると、浜辺に青々とした活きのよい草が生えていた。 「ツルナです。食用になり、昔は貴重な野菜でした。種が海流に流され、各地の浜で育っています」 「あそこにむらさき貝が群生しています。むらさき貝は海が汚れると増えます。元宇品の海もきれいになったとはいえ、まだまだですかね〜」 道路を素早く走る虫を見て、あの虫はあまり役に立たないのではないかと訊ねると、 「あれはフナムシと言って、浜に流れてくる死んだ生物を分解します。自然界で役に立たないのは人間だけです」と一蹴された。 これまで、何回となく元宇品公園に来ているが、滞留時間はいつもわずかで素通り。今日のように、植物や生物の話を聞きながら歩くのも、楽しくて悪くないと思った。 「海の浜の傾斜が大きくなると、生物が育ちません。こんなに傾斜が大きくなっているのは、海砂利採取のせいだと思っています」 「元宇品公園は木が鬱蒼と茂っているところばかりで、海が見えるところがないので、一部の木を切ってくれと役所に陳情しました。経過は順調と思ったのですが、残念ながら断られました」 「海上保安庁の展望台があるので、一般に開放するようお願いしています。危険防止のため柵をこしらえなければいけませんが、見通しがつくところまできています」 「国立公園らしく、そして市民の憩の場所とするためには、公園への自動車の乗り入れは禁止しなければいけません。アイドリングをするため排気ガスが出て、木々に悪い影響を及ぼしています」 彼は独特の早口で、機関銃のように次から次へと話を展開する。その中には、自然へのこよなき愛着があった。最後に、次のようにしめくくった。 「公園の環境を改善していくには、役所の力だけでは限界があります。地域の人たちがネットワークを組み、みんなの知恵と力で取り組み改善していかなければなりません」 ■本番は宮島の自然保護 それにしても元宇品公園の実績はたいしたものだと感心していると、彼は笑いながら言った。 「元宇品公園は地元の公園なので愛着があり一生懸命取り組んでいますが、本番はなんといっても宮島です。宮島には瀬戸内海でもトップクラスの自然環境が残っていますし、年間300万人もの観光客が訪れています。ところが残念なことに、修学旅行生や観光客は豊かな自然に触れることなく立ち去っています。 そこで、宮島の植物や海岸生物を説明できるボランティアを昨年から養成し、現在、50名の方が出番を待っておられます。本年も6回の学習会を開催し、さらに50名を養成、100名体制で活動する計画です。先日、そのためのNPO法人・宮島ネットワークを立ち上げました」 彼が宮島の自然環境と初めてかかりあいを持ったのは、宮島の水族館の教育ボランティアに参加したときのことで、凝り性の彼はたちまち、海岸の生物をマスターした。 「平成15年、『宮島の磯・生きもの調査団』を立ち上げました。やがて広島県の『せとうち海援隊』に指定され、平成17年にはRCCエコロジーファンドの奨励賞、18年にはRCCエコロジー賞を受賞しました。現在、会員数は40名ですが、さらに充実し、できるだけたくさんの子どもたちに、自然の不思議や命の大切さを伝えていきたいと思っています」 ■これまでの軌跡とこれからの抱負 昭和15年4月12日、彼は下関市に生まれた。下関市内の高校を卒業すると医師の道を目指したが、あえなく不合格、しばらく挫折した。それから2年後、立命館大学の経済学部に入った。 大学を卒業すると、外資系の会社で3年間営業活動を経験。それから、(株)ミドリアンゼンに10年間勤務、広島支店長・広島支社長を務めた。 36歳になったとき、広島ミドリアンゼン(株)を設立、60歳まで経営活動に携わったが、同じ生きるのなら違った道も歩いてみたいとの想いから会社を売却した。 時間ができた彼は好きな釣りに集中、釣ったメバルやアジ、ハゼなどを水槽で飼った。外国から資料を集め濾過剤を工夫したので、浄化力が飛躍的にアップ。そこで水槽のネットショップを開いた。 「ピークのときには、月に250万円くらい売り上げがありました。ところが、毎日50通以上もくるメールの対応に追われ、やりたい自然環境の勉強に支障が出だしたので、1年半が過ぎたころ事業から撤退しました」 自然環境保護活動に本格的に取り組み始めたのは62歳。それから、わずか数年しかたっていないが、現在、彼が関係している団体は、広島市植物公園ガイドボランティア、広島自然観察会、元宇品自然観察会しいのみ会、宮島の磯・生き物調査団(せとうち海援隊)など10数団体。しかも最近になって、 環境省・環境カウンセラー、NPO法人ちゅうごく環境ネット(理事)、広島市社会教育委員と、活動範囲を急速に拡大した。その馬力にはまさに驚嘆するばかりである。 そのエネルギーはどこからくるのか、それとなく探っていると、 「ものを言わない生物を大切にすることは、人の命を大切にすることに通じる。このことを子どもたちに伝え、次世代に汚染されない自然環境を残したい。そして、将来はいじめや戦争のない平和な世界であってほしい。これは、私の第2ステージのライフワーク」という言葉が返ってきた。 彼の植物・海岸生物にかける情熱は、毎日5時間くらい、勉強するということからも伺える。 「中国地方の植物や海岸生物の99%は、どこに生きているかわかります。そのため、市町村や企業から照会があります」 最後に、この仕事から得ている生き甲斐について次のように語った。 「なんと言っても楽しいのは仲間作りです。『みんなで仲良く、遊び心で』をモットーにしています。相手も得になり、こちらも得になるというようにすれば、仕事は必ずうまくいきます。儲けようと思ったらダメですね。要は、みんなの生き甲斐を大切にすること、そして、何事も皆さんから教えていただくことです」 |
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| 2007.7.4/戸村彰義 | ||||||||||||
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