リャーカーを引き空き缶を拾いながら
日本列島を縦断!
地球洗隊エコレンジャー
清田 学さん


清田学さん
地球洗隊エコレンジャー


広島県三原市在住
1978年岩手県盛岡市生まれ

Tel  090-1182-5781
e-mail pmanabu@ezweb.ne.jp

URL http://www.geocities.jp/chikyujisoku/
 

清田学さん(28歳)は、地球洗隊エコレンジャーの一員として空き缶を拾いながら日本列島を縦断、集めた空き缶を車いすと交換してミャンマーに届けるなど、ユニークな人生を送っている。


清田学さん 遠山孝良さん 酒井洋さん


リャカーを引いて湘南の海岸線を歩く清田さん
■北海道から沖縄まで歩いて空き缶拾い


 2005年5月5日、地球洗隊エコレンジャー・清田学さん(27歳、広島県三原市)、遠山孝良さん(26歳、新潟県六日町)、酒井洋さん(25歳、群馬県藤岡市)の3人が、日本最北端の北海道宗谷岬を出発した。
 沖縄の糸満市喜屋武峠までアルミ缶とプルタブを拾い集めながら歩き、これを車いすに交換して医療事情の悪いミャンマーの病院に届けようとするもので、8ヵ月におよぶ壮大な旅路へのスタートだった。


 2年前、彼らは環境をテーマにしたドキュメンタリー映画「107+1天国はつくるもの」に出演した。映画完成後、意気投合した3人は、楽しみながら環境のためにできることはないか話し合った。その結果、映画で演じたヒーロー『地球洗隊エコレンジャー』に扮し、アルミ缶を回収しながら日本を縦断することを思いつき、『エコレンジャー』を結成した。


 清田さんは、柔和な笑みを浮かべながら説明する。
「集めたアルミ缶やプルタブを車いすに交換してくれるボランティア団体『環公害防止連絡協議会』があることを知りました。そこで、交換してもらった車いすを必要とされているミャンマーの人たちに贈ることにしたんです。
 車いすの目標は10台。この目標達成のためには、8000キログラムの空き缶を拾い集めねばなりません。より効率的な活動ということで、3人は別々のルートを行くことにしました。遠山くんは日本海側、酒井くんは一人で全都道府県、ぼくは太平洋側です」


 どうやって、3人の時間調整をするのかと聞いたら、携帯電話でメールのやりとりをするとのことだった。それにしても公園や商店の軒先で野宿しながら、1日歩く距離は約30キロメートル。240日を超える旅は、まさに気の遠くなるような旅だった。


「まだ寒さの残る北海道で、ある土木会社の寮に泊めてもらい手料理を振舞われたこともありました。各地ではたくさんの方から、家にあるアルミ缶をもってきていただきました。このような心の優しさに触れたときは、本当に嬉しかったです」という彼には、数々のピンチもあった。
「横浜市を歩いていたとき暑さのため熱中症になり、病院で点滴してもらいました。それから箱根峠に差し掛かったときが、最大のピンチでした。あまりの急坂のため、リャーカーが上がらないんです。この窮地を知った友人たちが東京からかけつけてくれ、リャーカーを一緒に押してくれました。おかげでピンチを脱することができ、友だちの有難さをしみじみ感じました」
 


広島本通商店街で、
「元気が出ることば」を書く清田さん
(撮影 「ギルド」長谷川 潤)


清田さんの一番新しい作品

 旅の中で一番印象に残ったのは、山口県で出会ったホームレスのオバサンだったという。そのときの模様を次のように語った。
「冬の野宿の寒さは、肌で感じて知っています。オバサンは、その冬を30回も野宿しているんです。彼女と一緒に野宿した夜は、冷え込みの厳しい夜でした。ぼくには分厚い寝袋がありましたが、オバサンは薄い毛布1枚だけ。『おー寒い』という彼女を横目に、ぼくは夏用の寝袋を枕にして寝ていました。その夏用寝袋を貸してあげることもできなかった自分の冷たさを悔やみ、翌朝、それをプレゼントしました」


 歩き始めてから8ヵ月後、3人は鹿児島で無事合流、船便で最終の地、沖縄に渡った。
「3人が久しぶりに顔を合わせたときは、ものすごく嬉しかったですね。ついに日本を縦断したという充足感が、身体の中に込み上げてきました」と、そのときの感激を語る。


 8ヵ月間の生活費は、書(左写真)を書いてお金をもらったり、資金カンパをしてもらったりしてまかなったそうだ。


「集まった空き缶の総量は、全国の皆さんに助けていただいたおかげで4000キログラム(車いす5台分)になりました。有難いことに、5台の車いすの寄付があり目標の10台になったので、去年の5月、ミャンマーに5台持って行き、今年の春、残りの5台持って行くことにしています。それが終わると、区切りをつけるためエコレンジャーは解散する予定です」


 このようにたんたんと語る彼の顔を見ながら、並外れた8ヵ月間の経験は、3人の若者たちにとって、かけがえのない心の財産になることだろうと思った。


■エコレンジャーまでは挫折の人生だった


 エコレンジャーにいたるまでの清田さんの人生は、いわば挫折の人生だった。三原市の高校では勉強が好きでなく、さりとて他に身を入れて取り組んだものもなかった。
「高校卒業が近くになって美容師になりたいと思い、大阪美容専門学校を受験しましたが、見事にすべってしまい落ち込みました。その後、祖父や両親が大学へ行けとやかましくいうので、やむなく福山の大学に入りました。なんとか単位はとり卒業しましたが、面白くない日々でした。
 大学を卒業すると、今度は洋服屋になりたいと思い、好感の持てるお店のオーナーに入社希望を伝えたのですが、1年待っても入れてもらえず挫折してしまいました」


 それから海外を放浪したり、ボランティア活動をしたり、アルバイトをしたりして過ごした。
「そんなとき、軌保博光(てんつくマン)に出会ったんです。その著書、『感動無き続く人生に興味なし』には身体がふるえるほど感動しました。それを機に、ぼくの人生は変わったんです。それが今回の日本縦断の旅につながりました」


 このように語る彼の表情は底抜けに明るく、エコレンジャー解散後の計画を次のように語った。
「カレー屋さんになろうと思っています。カレーはシンプルです。ぼくにしか作れないカレーに挑戦、三原にお店を出して、地元を盛り上げていきたいと思っています。これから、カレーの道を究めるため修業をします」


 彼の将来には、楽しいことだけでなく辛いことも苦しいこともあることだろう。しかし、8ヵ月間挫けず貫徹したエコレンジャーの経験は、これからのチャレンジに必ず活かされていくことだろうと思った。


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