筒井ようすけさんの作品⇒ |
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■明るくて広々とした教室に入ると、帽子をかぶった筒井さんが、きさくな笑みを浮かべながら迎えてくれた。生徒数は5人だが、和気藹々のなかに活力のある教室だった。 彼は、よく通る高い声で言った。 「帽子はトレードマークで、授業中でもかぶっています。生徒が一度でいいから脱いでくれというんですが、脱ぎません(笑)。この紙屋町教室は、毎月第3水曜日に開いています。2時間の授業なので、最後まで付き合ってみてください」 当日のテーマは来年のカレンダーの制作。カレンダーのメインになる絵手紙の作画については、あらかじめ筒井さんによって作られた20枚くらいの手本の中から各人が気に入ったものを選び、それを描写するという方法がとられていた。 「まず絵を思い切って描き、その後から字を描いてください」 「字は字と思って描かないで、絵と思って描いてください」 「手首を動かして描いてはいけません。腕で描いてください」 「手本と同じように描こうと思うから難しい。自分なりに描いてください」 「ものさしは使ってはいけません。ねじれるのは愛嬌、手作りの味です」 ・・・など、含蓄のある言葉がタイムリーにとぶ。 生徒が描いている作品を見てまわると、それぞれ個性があり、なかなか上手なのに驚いた。みんな互いに褒め合い、先生も的確に褒めている。そんな会話の中に、いかにも楽しそうな雰囲気が生まれていた。 「あーせー、こーせーというのは好きでありません。教えるのではなく、一緒に遊んでいたいと思っています」と彼は笑った。 絵手紙の中に書く文を綴った「言葉集」を2冊貰った。その壱とその弐である。言葉集を開くと、「絵手紙の言葉は連想ゲームのようなものだ」「大きな幸せを願うから、今が不幸に思える」「頑張っている自分に自信を持とう」など、含蓄のある言葉がたくさん並んでいた。 「どこの教室に行っても、思うように言葉が出て来ないと言っています。他人に笑われはしないかという意識が、頭をがんじがらめにするのではないかと言っているんですがね・・・・」 彼が1メートルくらいの長さの紙に、絵手紙を描き始めた。描き終わったのは、なんと5分ばかり後。絵も良かったが、書も雄渾で生き生きしており、「新しい舟出 今年は 私の年 思い切り 前進する 妻よ 時には ブレーキ頼む」と書かれていた。 予定の2時間が過ぎると、彼は、20枚のお手本から今しがた描いた絵手紙、残った用紙にいたるまで、全部配ってしまった。
■筒井さんは、60歳まで照明器具販売会社に勤めた。それから独立して2年ばかり販売業を営んだ後、絵手紙制作の道に転じた。 「絵手紙は、家内や息子の勧めがあって始めたんです。小学生の頃は絵も習字もまったくダメでしたが、文章を書くのは好きで、長い間、俳句や詩などの創作活動を続けていました。絵手紙を始めてみると非常に面白いので、創作活動はすべて止め、絵手紙1本にしぼりました。特別に先生につくということはせず、完全に独学です」 小学校の頃、絵や習字が苦手だったというのにはビックリしたが、それにも増して驚いたのは、絵手紙を始めてから半年で個展を開催したということだった。 「絵手紙を始めてから半年後、個展を開くといったら、みんなに厚かましいと言われました。しかし、その半年後には、個展を見た人に請われて絵手紙教室を開いたんです。そのなりゆきを見て、亡父が天才だと褒めてくれました。嬉しかったですね。父は80歳から仏像の彫刻を始め、83歳から94歳まで仏像の木彫りをしました。そんな父の血を受け継いだのかも知れません」 彼の子息の筒井聖美さんも、現在、岩手県岩泉町で木工&家具作家として活躍しているというのだから、筒井さん一家には芸術家の血が流れているのだろう。 彼は絵手紙の良さについて語る。 「絵手紙は、きまりのないのが良いですね。教室によっては、筆の持ち方などについて、やかましくいうところもあるようですが、私は自由に楽しみながらやれば良いといっています」 痛風を病んだため、20年前から禁煙、16年前から禁酒しているということだが、彼の毎日の過ごし方には驚いた。 「毎朝4時に起床し、5時から女房と1時間くらい散歩します。それからパソコンを開きブログに書いた後、夕方まで絵手紙に集中、夜は女房と一緒に過ごすというのが日課です」 散歩するときに一番楽しいのは、人に会うことだという。 「料理も好きです。私のバスタは近所でも定評があり、人が来るとご馳走しています。女房も人が来ると喜ぶんです」 なんとも、微笑ましいご夫婦である。 「同じ生きるのなら、前向きに生きたいですね。これからも一生、女房に助けてもらいながら、絵手紙を続けたいと思っています」と締めくくった。 |
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