
1993年7月
住民が避難した後に残る家
この事故は、1986年4月26日、ウクライナ共和国 のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きました。
この炉は、旧ソ連に特有のRBMKと呼ばれる原子炉です。定期点検で出力を停止する途中に実験が行われ、その最中に爆発事故が起きました。わずか数秒の間に2度以上の大爆発が起き、原子炉は壊れ、核燃料はこなごなになってふき上げられました。千メートルから2千メートルもの上空に吹き上げられた放射能は、遠くの国々にまで運ばれ、地球全体に放射能が降りました。
チェルノブイリ原発周辺は、30キロメートルにわたって人の住めないところとなり、14万人が避難しました。事故を起こした4号炉はコンクリートで固められ、「石棺(せきかん)」と名づけられました。
チェルノブイリ原発事故は、それで終わったわけではありません。今も汚染された土地に住む人、汚染された食べ物を食べている人がいます。風化によって「石棺」が崩壊する危険性も指摘されています。
事故による初期の死者(1986年)は、原発の運転員と消防隊の隊員たち31人だったのですが、その後、ガンなどさまざまな病気にかかる人が増えてきます。それが、放射能災害の恐ろしさです。放射線被曝は、ガンを発生させ、さまざまな病気に対する抵抗力を弱め、老化を早めます。とくに深刻なのが子どもの被害です。
もっともたくさんの放射能をふくんだ雲は、すぐとなりのベラルーシの方に流れ、放射能に汚染された地域は、ベラルーシでは国土の30パーセントに達しました。
|