端切れで絵を描いて40年
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| 糸島宝舟さん |
山本恵由美の明窓園シリーズ第1回
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糸島宝舟さん
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糸島宝舟(いとしまほうしゅう)さん
大正13年 広島県呉市生まれ
布と遊ぶ布美絵(ふみえ)作家
〒737-0802 呉市南辰川町4−23
Tel 0823-21-7770
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山本恵由美さん
郷土人形館
明窓園ギャラリー
プロジェクトマネージャー
明窓園ギャラリーとは→
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ちょっと昔まで、どこの家にも端切れ(着物や服を縫ったあと残った布の切れ端)が大切にしまわれていた。この端切れで40年間、お雛さんをつくったり絵を描いたりしている人がいる。糸島宝舟さんである。40年間の足跡について伺った。
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最近、明窓園ギャラリーに
展示された洋風な作品 |
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左 糸島宝舟さん
右 山本恵由美さん
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■30年間続いた「布美(ふみ)の会」
山本 糸島先生は、ホテルグランヴィア広島で作品を定期的に展示されたり、いろいろな場所で個展を開かれたりしています。私どもの明窓園ギャラリーでも、ここ数年の間に10回以上も作品展示をお願いしました。
83歳というご高齢にもかかわらず、どうしてお元気でいらっしゃるのか、いつも感嘆しております。作品を創り始められたのは、いつごろからですか。
糸島 本格的に始めたのは、42歳のときに『布美(ふみ)の会』を立ち上げてからです。会の趣旨は、端切れで絵やこぎれ細工などを創ろうというもので、最初は6人くらいでしたが、口コミで次第に増え多いときには100人くらいになりました。
山本 先生の作品は季節感があり、とても心を惹かれます。それに創意工夫が素晴らしく、いつも感心しています。例えば、お椀をひっくり返してお雛様を創られたり、古い電球やおしぼりを入れる物など、いろいろな物を有効利用して作品を創られたり、その飾り付けや発想力の豊かさには驚いています。
糸島 なにしろ、私が若いときは物のない時代でしたから、ありあわせの物を上手に使うのが習性になったのかも知れません(笑)。いつも物の命を全うさせたいと思っています。
山本 布美の会が始まったときから、先生が指導されていると聞きましたが、学生時代に専門の勉強をなさったんですか。
糸島 特に勉強したことはありませんが、女学校のとき、絵を描くのが好きでした。父も好きでしたから血筋ですかね。
山本 布美の会は30年目に終会されたんですね。
糸島 終会にしたのは平成7年のことでした。世の中があっという間に変わってしまったんですね。
会を結成してから、ずっと物を大切にし一片の端布にも愛情を注いできましたが、次第に端切れもなくなり材料を買う時代になりました。物に対する思いやりも薄くなり、会の役割も終わったと思ったので終会にしたんです。
山本 布美の会がなくなってから後は、創作活動をどのように続けられましたか。
糸島 1人でコツコツ創り、いろいろな展示会に出展してきました。定期的に、広島ターミナルホテル(現ホテルグランピア)にある「日本料理 瀬戸内」で、作品を展示させてもらっています。今は年をとったので、さすがに大きなものはできなくなりました。小さいものをボチボチ創っています。
山本 物を大切にしないということは、命を大切にしないことに通じるように思います。今の世の中は心が荒れてきていますが、物を大切にしなくなったからかも知れませんね。先生のご活躍を心から祈っています。
ホテルグランヴィア
「日本料理 瀬戸内」で
定期的に展示 |
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■物のない時代に育ち結婚
山本 先生がお生まれになったのはいつでしょうか。
糸島 大正13年9月1日、広島県呉市で生まれました。当年とって83歳です。私の青春時代は戦争のさなかで、贅沢は敵という時代でした。
昭和20年6月、20歳のとき、お見合い結婚しました。当時は、戦争のため男性が圧倒的に少ない時代でした(笑)。
結婚して1月もたたないうちに呉市が大空襲を受け、私たちは火の中を逃げ回り山に逃げ込みました。街を見ると火の海、私たちの新居も焼けてなくなりました。幸いに私の実家が焼け残ったので、主人と主人の父、私の両親・祖母、6人で一緒に住みました。
山本 たいへんな時代だったんですね。お子さんは?
糸島 女の子1人、男の子1人が生まれました。物のない時代ですから、焼け残った古い浴衣をほどいて、おむつをつくったり、木綿の布をつぎ合わせて下着を縫ったり、旧海軍払い下げの落下傘(白)でお宮参りの初着を縫ったりしました。
お宮参りの初着は、女の子らしく赤い糸で花模様の刺繍をした、世界で1つしかない娘だけの初着でした。それからは、わずかな端布も大切に残す習慣がつきました。私の創作活動のルーツは、このあたりかも知れません。
山本 お父さんお母さんを看取られたとか・・・。
糸島 主人の父、私の両親と祖母、4人を看取りました。不思議なことに、みんな寝込んだ期間が短かく安らかに亡くなっていきました。
それに、一昨年は長年連れ添った主人も亡くなりました。
山本 先日、先生に1人住まいは寂しくありませんかと聞いたら、「ごくらく]と答えられたのにはビックリしました。生前からお2人は、いつも仲睦まじくしていらっしゃたものですから・・・・(笑)。
糸島 生来、のんきなんですね。流れに添って生きるしかないと割り切っているんです。苦労話や人の悪口は聞いても聞かないことにしています。おかげさまで苦労がありません(笑)。毎日、本当に愉しく過ごしています。
私の役目は済んだので、いつ死んでもいいと思っています。お金に対する執着も無くなりました。
山本 そんなお気持ちでいらっしゃるから、いつもほがらかで輝いていらっしゃるのですね。
糸島 くよくよしても仕方ないですね。元気でいる間は、ヘルパーさんのお世話にはなるまいと思っています。重いものがあるときには、孫にアルバイト料を払うと大喜びでやってきます(笑)。
山本 若い人たちへのメッセージをお願いします。
糸島 日本には、便利さだけを追求して物に対する思いやりを忘れた人たちが増えています。お金では買えない豊かな喜びがあるのです。今の時代には難しいでしょうけど、日本の精神文化である「もったいない」をもう一度見直し、知恵と工夫で日々の生活を楽しんでほしいと思います。
山本 先生のお話を聞いて、年を重ねていく素晴らしさを知り元気をいただきました。本当にありがとうございました。
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