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そんな池田さんの名刺には、日本バプテスト連盟・江波キリスト教会・牧師と書かれていた。 まず最初に、バプテストについて質問すると、 「当教会はプロテスタントですが、プロテスタントの中には数多くの教団があります。バプテスト連盟はその中の1つです。どの教団も聖書の読み方は同じですが、教会の運営方法が違うため分かれています」と、簡潔な返事が返ってきた。 彼は、本務であるキリスト教の布教活動のほか、リーガロイヤルホテルでの結婚式場チャプレン、町内会役員・民生委員の活動、パソコン教室やお花の教室、ピアノ教室の運営などを行っており、たいへん多忙な日々を送っている。 彼は頭をさすりながら言った。 「いやあ、1人ではとてもできません。関係している皆さん方のご協力があるからできているんです。 家内の存在も大きいですね。オルガンを弾いたり賛美歌の指導をしたりしています。スミレ会(教会の婦人会)や羊会(中学生の会)、子羊会(小学生の会)の運営は、彼女が一手に引き受けてくれています。教会員の相談や民生委員の仕事なども、手助けしてくれており、彼女抜きには私の仕事は語れません」 契子夫人は飾り気のない人で、なんでも気軽に話しやすい方だ。自分の両親、池田さんの両親4人を自宅で看取ったというのだから、その人柄が想像できる。 彼女が自分の仕事の一端を語った。 「スミレ会が中心になって、毎年、11月3日にバザーを開いています。教会員や地域の人たちが100人くらい参加されますが、おすしやおでん、たこ焼き、ラムケーキ、カレーなどが美味しいと評判を呼んでいます。そのほか日用雑貨の販売もしています。掘り出し物があるかも知れませんので、ぜひお越しください」 キリスト教会だけに、クリスマスイブはたいへん盛大で楽しそうだ。池田牧師が身振り手振りで楽しそうに説明する。 「クリスマスイブにはローソクをつけガウンを着て、クリスマスソングを歌いながら町の中を練り歩きます。そうして、教会員の家を訪問するんです。町の子どもたちが大喜びで、ワアーと取り巻いてきます」 お2人は非常に研究熱心で、数年前パソコン教室を開いた。 「パソコン教室を開いたとき、私は65歳、家内は64歳でした。私たち2人は、そのとき初めてパソコンに触れたんです。なかなか上達しませんが、毎週の練習日をとても楽しみにしています。パソコン教室は地域へのお返しというつもりでやっており、地域の方もいらっしゃっています」
「彼女は牧師の娘でした。それで感化されたんですかねえ(笑)。高校2年のとき洗礼を受けクリスチャンになりました。特別集会に行ったとき、講師の言われた『ゴミ箱として生きよ!』という言葉が、今でも強烈な印象として心に残っています」 彼は高校を卒業すると「日立」に就職、6年間務めたが、24歳になったとき、一念発起、牧師になるため福岡市にある大学に入学した。 「大学は一般科目4年キリスト教専門科目3年の課程があり、7年間通学しました。この間に家内と結婚、福岡市に所帯を持ったんです」 池田さんが35歳、契子さんが34歳になったとき、運命の大きな転機が訪れた。広島市にある江波キリスト教会から、牧師として招聘されたのである。 彼は当時を振り返る。 「3歳の男の子と1歳の男の子、家内と4人で、全く未知の土地・広島市へ着任しました。世界の平和都市でもあり、たいへん緊張しましたね。 初めて原爆資料を見たとき、『うめき、においを聴き取り嗅ぎ取ってくれ』と言われました。そうして『誰もが差別なく受けている神の愛を説いてくれ』と言われました。今でも昨日のことのように思い出します」 まず地域に溶け込むことから、1日1日が始まった。 「土地を知るため、数年間新聞配達をしました。地域に溶け込むには、牧師としてでなく2人の子の親として接する方がよいと思い、行動に移しました。その結果、町内会の役員や幼稚園・小学校・中学校のPTAの役員が回ってきました。 当初はキリスト教の布教が目的でないかと警戒されましたが、その誤解も次第に溶け、地域への愛着が年を追って深まっていきました」 江波にきてから10年くらいたったとき、池田さんは周囲の人たちに推されてPTA会長になったが、そのとき思いがけないトラブルに巻き込まれた。その経緯を彼は次のように説明する。 「市会議員に出るため、PTA会長になりたい人がいたんです。その取り巻きの人たちから、私にPTA会長を下りないかと圧力がかかってきました。そこで、周囲の人たちに相談の上、もう一度、総会をひらいて選挙したところ、またしても私が選ばれたんです。それからは『雨降って地固まる』で、今まで以上に運営がスムースにいくようになりました」 もう一つ忘れ得ない思い出は、新会堂の建築だった。 「旧会堂は、すき間から月の光が入る状態だったんです。資金難のなかで150万円集まったのですが、これではムリなので、計画が挫折しそうになりました。そのとき、教会員の1人の方が猛烈にプッシュされ、小さくても造ろうということになったんです。1993年8月、新会堂が完成したとき、教会員一同すごく感激しました」
■江波キリスト教会は会員数37人で、こじんまりした教会である。それだけに雰囲気は家族的で非常に温かい。 池田さんが会員の現況について説明した。 「会員は江波地区に住んでいる人だけではありません。広島市内の他地域や奈良や東京などに転居された方々もおられます。最近の面白い事例としては、ブラジル人とインドネシア人が加入してくださいました。 皆さんは高齢化したこともあって、家族のように助け合って生きていらっしゃいます」 会員が少ないことは良い面もあったが、経済的には苦労が多かったようだ。 「今では、子どもたちが独立したので楽になりましたが、彼らが学校に行っているときは、授業料の捻出に苦労しました。家内はピアノの先生をしましたし、私は12年間本屋に務めました。ビジネス専門学校の講師もしましたが、これは有難かったですね」 小さい教会には中央から補助金が下りるのではないかと聞いたら、そんなものは全くないとのこと。これではたいへんだと思った。 このような苦労のさなか、他の裕福な教会の牧師に招聘されたこともあったが、地域への愛着から断ったという。 彼の好きな言葉は、「誠実」「聖書にある『信・望・愛』」。いかにも池田さん好みの言葉だ。教会のホームページにある「聖書に学ぶ」に、一般の人にも理解しやすい表現で自分の考えを毎日掲載している。 今後の目標を尋ねると、 「クリスチャンもその他の人も、互いに喜び合える教会を作りたいですね。社会の弱い立場の人たちに目を向けたい。『喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣く』これが私と家内の目標です」と答えた。 牧師を辞めても江波に住み、お年寄りの買い物のお手伝いをしたいという彼の言葉に、限りないやさしさと誠実さを感じた。そうしてご夫妻の健康と幸せを心より祈りたいと思った。 |
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| 戸村彰義 | ||||||||||||
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