女性のためになることなら何でもしたい
癒しのフィニッシングスクール
森の香人(もりのこびと)
高月聖果鈴さん
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午前10時半から開かれた藤原美智子さんのウオーキング教室には7人の女性が集まり、明るくて賑やかな笑い声が飛び交っていた。 藤原さんは、スリムで笑顔のいい美人だ。指導振りも丁寧で手際良く、生徒から信頼されていた。 ウオーキングが終了したのでこれで終わりかと思ったら、続いて『笑顔のつくり方』『メイク』と予想外の講座に入る。これにはビックリした。 高月さんが説明する。 「藤原式ウオーキング講座は、月2回開催しています。個別の食事・ストレッチメニュー付きの講座で、1ヵ月間におよそ4Kgスリムになります。 その他に、顔の表情筋トレーニングや立ち居振る舞いのチェック、ヨガ・バレエストレッチ、メイクのワンポイントレッスンもあります。とても楽しい雰囲気の講座ですのでご気軽にお出でください」 午後2時半からは高月さんのアロマセラピー講座。生徒は午前中と同じく女性ばかり7人だが、メンバーは1名を除いて総入れ替え。生徒の層の厚さに感心した。 研修方法はウオーキングと違い座学だが、みんなすごく熱心な面持ちで受講していた。後半に入ると香料を用いた実習になり、大いに盛り上がる。賑やかでみんなホントに楽しそうだった。 高月さんが森の香人の講座内容全般について説明する、 「森の香人ではウオーキング、アロマセラピーの他に、カラーセラピー、パワーストーンジュエリー、東洋医学、レイキ気功の講座を開いています。カラーセラピーは山田剛史先生にお願いしています。 始めてから一番長いのは、アロマセラピーで10年になります。この間に、さまざまな分野の素敵な先生方と知り合い、いろいろな講座を主催するようになりました。外部講師による講座は始めたばかりですが、たいへん評判がよく、やってよかったと思っています」 ■高月さんは岡山生まれ。 広島市の大学を卒業すると、情報誌出版会社の大手A社(岡山)に入社し法人営業を担当したが、しばらく在職したのち退職、海外に学校を多く持つ語学スクールB社(福岡)に転職した。 「A社では仕事は面白いし、結構いい成績も残せたので不満はありませんでしたが、将来自立を希望していたので、経営全般について学べる仕事がしたいと思っていました。 そんなことから広島に転勤になったとき退職し、1つの支店の営業・売り上げ・コスト・従業員の採用等、経営全般を任せてくれるB社に入社したんです」 B社に入ると張り切って仕事をしていたが、半年ばかりたったとき、思いもしないアクシデントが起きた。福岡から鹿児島へ左遷させられたのである。 「いずれトップの成績を残せると思っていたので、まさに青天霹靂。プライドがへし折られました。 鹿児島に着任した足で入った喫茶店のオーナーに、自分がこんな地の果てにくるなんて・・・と、左遷へのうらみつらみをまくし立てました。そして1日も早く福岡に帰るつもりだと言うと、彼は『でもそのときには、きっと鹿児島を離れるのが名残惜しくなっているよ』とさびしそうな表情で言いました。それを聞いて、私は、そんなことは絶対にありませんと、腹立たしげに席を立ったんです」 鹿児島で待ち受けていたのは、アルバイトさながらの雑務の数々。福岡では、そんな仕事はしないとふんぞり返っていたが、ここでは、一日中、待合室で生徒とのコミュニケーションづくりなど雑多の仕事に明け暮れた。 「鹿児島の人たちは公私の区別なく、実にふところ深くつきあってくださいました。そのため成績は急激に上がり、着任後わずか3ヶ月で福岡へ帰れと辞令を受けたんです。 驚きましたね。喫茶店のオーナーの一言が現実になったんです。飛行機から見下ろす鹿児島の街は、涙でかすんでいました。今でも瞼に焼きついています。何が一番大切かを教えてくれた鹿児島、私の生き方を変えてくれた鹿児島に、今でも感謝の気持ちでいっぱいです」 その後は福岡・京都・広島と目まぐるしい転勤人生となり、数年間で6回も転勤した。 「慌ただしかったけど、転勤でいろいろなところへ行けるのは楽しくて仕方ありませんでした。それに、スクール運営も上手くいっているので、たいへん充実した日々でした」 こんな彼女の心に変化が生じてきたのは、京都へ転勤したときだった。
「大阪の宿舎に入ったんですが、辞令も口頭という異例の急な転勤のため、そこには布団もテレビもラジオもなく、早く帰っても仕方がないので、毎日遅くまで仕事をし深夜に帰宅していました。 ある日のことでした。お香屋さんでアロマセラピーに初めて触れ、ものすごく感激したんです。さっそく『香りのオイル』を購入、それからは部屋に帰るのが待ち遠しくなりました」 その頃、ある友人が彼女に半年前から不正出血が止まらないと洩らした。 「上司に話すように言ったのですが、言えないというので私が代わって話しました。そうしたら、女性の上司は『不正出血なんてたいしたことはない。私には子宮がない』と言ったんです。 それを聞いて、男性以上の仕事をこなしていると、女性の機能がこわされていくのだと気づきました。 そして今までの世界にも疑問を感じるようになり、これからは女性のためになる仕事をしようと退職を決意したんです」 ■それからしばらくして、人生3度目の広島への移動を機に会社を辞めた。 広島では、まず手始めにアロマセラピー講座1期生として受講、資格を取得した。それから10年、自立を目指してアロマセラピー一筋に生きる。当初は、昼間に生活のための仕事をし、夜はアロマセラピー講師という生活だったが、数年前、昼間の仕事を止め完全なフリーになった。 「当初は1人暮らしゆえの経済的な苦労もありましたが、その分、周囲の方々に助けていただきました。とりわけ精神的に大きな力になってくださったのは、昼間の仕事を通じて知り合った女性Aさんです。Aさんは実家の母と同年齢で、陰になり日向になり、いつも励まし勇気付けてくださいました。 あるとき、彼女が同じマンションに住んでいらっしゃる高齢の女性Bさんをを紹介してくださいました。 Bさんは要介護者で、彼女からはアロマセラピーの依頼を受けました。そこで喜んでやっていたのですが、なんと私がダウンしてしまったんです。これではいけないと思い、レイキを習ったんですが、これは効きましたね。 Bさんからいただいたアロマセラピー代と、レイキ習得に要した費用がまったくイコール。不思議なことがあるものだと思いました。 高齢の女性を対象にしたアロマセラピー訪問ケアは、今も続けています」 これからの活動の重点について尋ねた。 「アロマセラピーサロンを開設した方が利益面ではいいんですが、講師活動にこだわっています。講師をしていると、生徒さんが能動的に自分を変えていっているのが見え、これがたまらなく嬉しいんです。 女性のための『癒しのフィニッシングスクール』が今後の目標です。フィニッシングスクールは東京や大阪にはたくさんありますが、癒しを目的としたフィニッシングスクールはなかなかありません。女性のためになることなら、何でもしたいですね。わたしが習ってみたいと思うような講座。他に見られないような講座を目指したいと思っています」 このように語る彼女だが、つぎのような思わぬ一面をふと洩らした。 「わたしって、ホントは目立たず注目も浴びることなく、そっと静かに生きていきたいんです。元々は内向的なんですから。いったいどこまで走り続けたら、神様は願いを聞き届けてくださるのでしょうか・・・・(笑)」 |
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| (戸村彰義) | |||||||||
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