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多彩な市民活動を精力的に展開する
山本恵由美さん


山本恵由美さん 
市民活動家


(有)創医社/呉市本通6丁目2−4
郷土人形館 明窓園ギャラリー プロジェクトマネージャー
http://www.meisouen.com/
Tel  0823-23-4811 
Fax 0823-23-4817
<市民活動>
もりメイト倶楽部事務局長
他多数


山本恵由美さんは、勤め先の不動産会社で郷土人形館明窓園ギャラリーの運営責任者として活動するほか、もりメイト倶楽部事務局長、(財)広島市ひと・まちネットワーク評議委員、京橋川かいわいあしがるクラブ発起人など、数多くの市民活動をこなしている。そのエネルギーはどこからくるのか取材した。


明窓園ギャラリー
山本恵由美さん
茶室
◆「給料をもらって仕事をするのは、当たり前です。私は、それ以上の仕事、社会貢献につながるような仕事がしたいんです」と、真剣な表情で語る山本恵由美さんは、華やかな雰囲気のある美人だ。


 勤め先の不動産会社「創医社」では、社会貢献セクションとして郷土人形館・明窓園ギャラリーを運営しているが、彼女はギャラリーのプロジェクトマネージャーとして、人形作家などの展示会を年4回開いている。
 彼女のこの文化事業にかける熱意は並々ならぬものがあり、全国の人形を求めて北海道から沖縄、さらには海外まで足をのばしている。
 明窓園の趣旨などについて、つぎのように説明する。


「平成8年にギャラリーが発足してから、はやくも8年過ぎました。今では知名度もあがり、関係者の皆様から高い評価をいただいています。2月15日から21日まで「女のまつり・全国郷土雛展」を開催しますので、ご気軽にお越しください」


「当ギャラリーは文化の交差点と呼んでいます。作家同士あるいは作家とお客さんの出会い・交流の場にしたいからです。
 郷土人形展の開催を通じて、いささかでも日本の文化・歴史を大切にし守ることができればと思っています」


 このように明窓園の仕事だけでも相当に大きな負荷がかかっているのに、その他にたくさんの市民活動に参加している。
「毎晩、どこかの会議に出席しています。みんなでワイワイガヤガヤ言っているのが好きなんですね」と笑う。


 数多い市民活動のなかの1つに森林保護を目的としている「もりメイト倶楽部」がある。彼女はこの倶楽部の事務局長を務め、自ら男性の中に混じって間伐作業に従事している。
 同倶楽部が発足したのは1997年、それからの地道な活動が認められ、「間伐・間伐材利用コンクール」で全国林業改良普及協会会長賞を受賞した。 
「行動が一番大切です。なにごとも机上で考えるだけでなく、汗をかかねばなりません」と語る彼女は、いわば筋金入りの行動派だ。


 その他に、「農業体験塾・SERAゆうゆう塾」「広島の未来どうすりゃ委員会」「広島市市長選公開討論会」「(財)広島市ひと・まちネットワーク評議委員」「京橋川かいわいあしがるクラブ」などで、精力的な活動を続けており、そのバイタリティにはただ驚くばかりである。


◆彼女は、1962年広島市で生まれた。地元の小・中・高校を経て安田女子大学に入学する。
「大学では英米文学を専攻、サークル活動は演劇部に入りました。この頃から、いろいろな市民活動をやっていました」という彼女は、もともと社会活動が好きだったのだろう。
もりメイト倶楽部
写真/中国新聞
2005.11.4

 

「大学に入ったばかりのときのことでした。専業主婦だった母が、突然、店を開きたいと言い出したんです。みんな唖然としたんですが、結局、スタンドを経営することになり、姉と私が手伝うことになりました。3姉妹とか言われて、すごく繁盛したんですよ。(笑)
 しばらくして、ある事情により歯科技工士会の会長をしていた父の収入が激減してきたため、趣味で始めたスタンドが本業のようになり12年間も続きました。父は理想家肌の人で曲がったことが嫌いなので、それが裏目に出たのでしょう。その資質を私が引き継いだようです」


 大学を卒業後もスタンドの応援をしていたが、25歳になった頃から彼女の心が大きく揺れ動き始めた。
「その頃は今と違って、25歳の未婚女性は婚期が遅れたと言われていました。さりとて結婚という選択もピンとこなかったし、一生食べていきたい仕事にもめぐり合えていなかったので、このままでは遅れるばかりだと悩みました。そのあげく、ひとつ思い切ったことをしたいと思い、世界一周旅行を決断したんです」
 

 彼女らしい発想転換である。
 世界旅行のルートは、横浜→ソビエト連邦→シベリア鉄道→ヨーロッパ→北アフリカ→アメリカ→オーストラリア→アジア各国→日本という、まことに壮大なもので、1年をかけて世界一周しようというものだが、資金には制約があるので、費用を最小限に抑えた文字どおり貧乏旅行だった。
 ちなみに1989年は、東西冷戦構造が変換するベルリンの壁が崩壊した年である。


両親の反対はありませんでした。でも、内心はすごく心配したようです。1年後無事に帰ったとき、『この娘は生きて帰ることはなかろうと覚悟した』と父が言っていました」


「それは、つらい旅でした。なにしろ、お腹がいつもペコペコなんです。それに、こわいこともありました。
 事情があって、共産圏のブルガリアとギリシャの国境を深夜1人で歩き、ギリシャに入国しなければならなくなったんです。
 それは真っ暗闇で、遠くに点々とする灯火を目印にひたすら歩き続けました。ようやくのことで国境にたどり着くと、守備兵の銃口が私に向けられたんです。恐怖に凍りつきましたが、パスポートを見せると通してくれました。そのとき、日本のパスポートは偉大だと、しみじみ感じました」
 

「どこの国に行っても、日本とヒロシマのことはみんな知っているんです。その知名度の高さに驚くとともに、誇りがましい気持ちになりました。一方、こんなに私を守ってくれる日本という国、ヒロシマという土地を大事にしてきただろうかと思うと、忸怩たるものがあり反省させられました」
  

「もう1つ特に印象に残ったことは、海外のものすごく広大な農地です。これに比べ日本の農地はあまりにも狭く、食料の自足率の低さが心配になりました。このまま放置していてはいけないと思いましたね」



京橋川アシ舟づくり講習会
写真/ほのぼのひゅーまん通信
2005.5.13



「1年ぶりに広島駅に降り立ったときのことを、今でも鮮明に思い出します。真っ黒に日焼けして、ボロボロの服を着て、長い髪をたらして、大きなリュックを背負った私を、人々が奇妙なものを見る眼差しで眺めていました。そのとき、ここが世界のヒロシマなんだと思いました」


 1年ぶりに広島の土を踏み、両親や友人等に会ったときの感動は、さぞかし大きかったことだろう。
 この世界旅行を通じて得た最大の教訓は、視点が個から公へと転換したことだつた。「過去に悩んでいたことは、自分だけのことをくよくよしていたに過ぎない。これからは、公の視点から活動を展開し、心豊かな未来を次世代に引き継いでいこう」と決意したのである。


 28歳になったとき、結婚する。最近ではそれほど珍しくなくなったが、別姓結婚だった。
「彼に、あなたが姓を変える?といったら、きょとんとした顔をしていました。やはり抵抗があったようです。結局、婚姻届を出さないで、結婚しようということになったんです。彼は私と違って物静かなタイプです。料理も洗濯も上手なので感謝しています」


 結婚して1年後、彼女は思いがけないアクシデントに見舞われた。健康診断で子宮ガンが発見されたのである。
「そのときのショックはたいへんなものでした。手術してからも数年間は、再発のおそれにさいなまされました。あんなに死を間近に感じたのは、初めての経験でした」と、彼女は当時を振り返る。
 それからの彼女は、ボランティア活動など、公的な仕事に深く傾注していった。


◆これから、力を入れてやりたいことを尋ねると、
「もりメイト倶楽部は、会員数も120人になりましたし、組織もしっかりしてきたので、これからは、京橋川かいわいあしがるクラブに力を入れていきたいと思っています。
 アシには水の浄化作用があるため、定期的に刈り取ると水鳥などの生態系に良い影響を及ぼします。しかし、刈り取るだけでは面白くないので、昨年の4月、刈り取ったアシでアシ舟を作り川に浮かべたところ、たくさんの見物客が集まりました。
 今年も引き続き実施して、着実に組織を固めていきたいと思っています」と答えた。


「これからは、さまざまな環境団体の連携をはかり、セクショナリズムを廃して、共感でつながったネットワークをつくっていく必要があります。このような活動に、少しでもお役にたてばと思っています」


「人間の価値は、社会貢献をどれだけするかできまるのではないでしょうか。社会を変えていく市民性のある人たちを、1人でも多く増やしていきたいですね。
 そのためには、命を育む源を大切にすること、汗を流すこと、日常のやさしさを大切にすること、日本人らしい自然観を持つこと、人の和を大切にすることだと思います」 


 
 彼女がつぶやいた。
「私は特定な宗教に入っていません。でも宗教心はあるつもりです。魂のレベルを引き上げることが、私の究極の使命と思っています」
 彼女は、人生の半ばにさしかかったばかりだ。持てる才能を大切にして、もっともっと大きく成長してほしいと思った。

山本恵由美さんの略歴
・1962年 広島市に生まれる。
・1984年 安田女子大学卒
・1989年 世界一周旅行(1年間)
・1994年 創医社入社
・1995年 SERAゆうゆう塾立ち上げ
・1997年 もりメイト倶楽部立ち上げ
・1998年 郷土人形館・明窓園ギャラリー発足
・1998年 とうろう流しを支える市民発足
・1999年 広島市市長選公開討論会主宰
・1999年 広島の未来をどうすりゃ委員会発足
・2002年 広島市まちづくり活動支援Hu審査員
・2004年 (財)広島市ひと・まちネットワーク評議委員
・2005年 京橋川かいわいあしがるクラブ発足


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