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大田京子さん
大田クッキングスクール
CPA認定チーズプロフェショナル
料理研究家
テーブルコーディネーター
〒724−0612 東広島市黒瀬町丸山65−1
Tel&Fax 0823-82-4133
e-mail salers@crocus.ocn.ne.jp
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クッキングスクールを主宰している大田京子さんは、チーズプロフェショナルとして、美味しいチーズの普及に情熱を燃やしている。チーズのどこに魅力があるのか、素人にもわかりやすい解説をお願いした。
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2階 大田クッキングスクール
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大田クッキングスクール
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チーズのもりつけをする
大田京子さん
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もりつけられたチーズ
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チーズとコーヒー
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◆大田クッキングスクールは、東広島市と呉市、広島市のほぼ中間に位置する、東広島市黒瀬中学校前の閑静な場所にあった。
大田京子さんは、笑顔の明るい気さくな感じの人だった。年齢を聞いてびっくり。とても若々しくて59歳という年齢には見えない。ライフワークを持つということは、年をとらないことだと思った。
「この建物は倉庫を改造したものです。1階は主人が住宅設備関係の仕事に使っており、2階は料理教室に使っています」と、笑顔を浮かべながら説明する。
2階に上がると広々とした部屋に、きれいに整備された厨房設備があった。
しばらくして、チーズやパン・果物などの豪華な盛り合わせとコーヒーが出た。
「チーズとコーヒーは相性がいいのですよ。まず最初に、このチーズを召し上がってください」と、三角形に切ったチーズを指定された。
さっそく口にすると、これまで食べてきたチーズとはまるで味が違っていた。独特のきつい匂いがするし、塩辛くて固い。あまり美味しいとは思えなかった。
「塩辛いでしょう。チーズを長持ちさせるために、塩分が多めに使われているのです。それでは、これを召し上がってください」と3種類のチーズをつぎつぎに勧められた。
全部で4種類あったチーズは、それぞれ形も違えば味も違っていた。
2番目に食べたチーズは、固くて強い匂いのする皮に囲まれていたが、中身はやわらく匂いも穏やかだった。3番目のチーズは、ぼろぼろ崩れるお菓子のようなチーズで、甘い味がした。4番目は、豆腐のようにどろどろとした感じのチーズで、匂いも強くなく美味しかった。
彼女は笑いながら、チーズについて歯切れよく説明する。
「チーズは、牛や山羊、羊のミルクに乳酸菌や酵素を加え凝固し発酵させたもので、ナチュラルチーズとプロセスチーズに大別されます。
ここに出ているチーズはナチュラルチーズです。ナチュラルチーズは手作りのチーズで無殺菌または低温殺菌なので、乳酸菌が死にません。ですから自然に熟成し、個性的なチーズができるのです。
プロセスチーズは、ナチュラルチーズを機械で高温殺菌したもので、乳酸菌が全部死ぬるため熟成しません。したがって長持ちはするけど、味は均一化し個性がなくなります。スーパーでは、プロセスチーズがたくさん売られています」
「プロセスチーズはもともとスイスで開発されたものですが、本家のスイスではあまり伸びず、アメリカで発展しました。第2次大戦後、アメリカ兵が日本に多量に持ち込んだチーズはプロセスチーズです。この影響で日本では、プロセスチーズが本流みたいになっていますが、外国ではナチュラルチーズが本流です」
「ナチュラルチーズの歴史はとても古く、紀元前6000年にさかのぼります。その種類は多く、世界で3000種類もあると言われています。国別に見ると一番多いのがフランスで、1つの村に1つ、村の数ほどチーズがあると言われています。続いて多いのはイタリアの600種類といったところです。どこの国も、自国の伝統の味を守っていくため努力しています」
ナチュラルチーズが日本に入ってきたのは、1970年の大阪万博あたりからで歴史が浅いが、最近数年は需要が大きく伸びてきているといわれる。
「チーズは、いわばミルクのお漬物ですね。日本のご飯・味噌汁・お漬物が、ヨーロッパではパン・ワイン・チーズです。あちらでは、美味しいチーズがあったら何もいらないといった感じです」
「チーズにまつわる歴史的なエピソードもたくさんあります。例えば、フランス革命のとき、ギロチンで処刑されたルイ16世は、逃亡の途中、美味しいチーズを食べようと農場に立ち寄ったため逮捕されました。処刑直前に、美味しいチーズを食べさせてくれと言ったそうです」
「ナチュラルチーズは国産品が少なく、大半が輸入品です。空輸で運ばれるため現地の3倍くらいの値段になっていますが、手が届かない価格ではありません。皆で一緒に食べると、たいへん楽しいパーティができますよ。ちなみに広島市では、アンデルセンや三越などのデパートで売られています」
◆彼女は、昭和22年、広島県安浦町に生まれた。学校を卒業すると、栄養士として病院に就職する。25歳になったとき病院を退職し結婚、黒瀬町に転居した。
大田クッキングスクールを開設したのは、子育ても落ち着いてきた 34歳のときのことだった。
「料理で一番長く勉強したのは中華料理です。続いて日本料理、フランス料理です。その他に、テーブルコーディネートの講座も開いています。田舎のことですから、いろいろなことをやらなければいけません。ただし、都会地ほど競争が厳しくないので、のびのびとやっています」と笑う。
たいへん幅広いレパトリーなのに自慢めいたところが全くないのは、人柄が良いからだろう。
チーズに興味を持つようになった経緯を聞くと、
「子どもの頃、マーガリンを嫌った母に本バターを買いに行かされました。この頃の発酵バターの味が影響したのかも知れません」
「学生時代のときのことでした。アンデルセンに、1か月分のこづかいくらいのチーズが置いてあるのです。指をくわえて見ていましたが、就職すると、さっそく買って食べました。チーズは、私にとってあこがれの食品だったのです」
「清水いつみ先生のフランス料理の講座に参加したとき、先生にアンデルセンでのチーズセミナーを紹介していただきました。そのときチーズの専門家本間るみ子先生に出会いました。本格的なチーズを食べ始めたのはそれからです」
「10年前から、本間るみ子先生に同行してフランスに8回、スペイン・イタリア各1回行きました。チーズ工場や売場を見学するためです。工場には普通入れないのですが、先生のおかげで入らせてもらっています」
2000年、日本にチーズプロフェッショナルの資格ができたとき、ただちに挑戦、第1回目の合格者になった。
「当時、広島市にはチーズを習得する講座がなかったので、東京へ半年間、日帰りで通いました。1次試験は筆記試験、2次試験はテイスティングです。見て・匂って・食べて、チーズの名前をあてるのです」
これからの夢を尋ねると、
「チーズは奥行きの深い食品で、知れば知るほど面白くなってきます。1人でも多くの人たちに、チーズの持つ楽しさ・美味しさを伝えていきたい。これは一生の仕事と思っています。
もう一つは、プロの料理人の料理ではなく、家庭的な愛情のこもった料理を皆さんと一緒に作っていくことです。最近、スーパーの惣菜売場が急激に拡大していますが、さみしいことですね」と答える。
それに、もう一つつけ加えた。
「料理の先生方は年をとられても、いつまでもきれいで、かくしゃくとしていらっしゃいます。そんな先生方を将来の目標にしたいと、常々思っています」
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大田京子さんの日本料理
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テーブルコーディネータとしての作品
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